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生と死と追悼と再生と〜『夕凪の街 桜の国』

「夕凪」とは「海岸地方で夕方、海風から陸風にかわるときの無風状態」(新辞林)のこと。

人の心にも、夕凪のように、まるで空気が滞ったかのように、傷が胸の奥底にとどまることがあります。
その一方で、時は流れ、人の心は移ろい、街は過去の歴史を塗りこめるようにして発展を遂げていきます。
あるいは、桜の花びらのように華麗に散っては、また新たな生命の息吹を次の季節に伝えていくような存在のあり方も日本人の琴線に触れるものかもしれません。

広島に投下された原子爆弾は、一瞬のうちに人々の時間を止め、生き延びた人の身体だけでなく心奥にも癒し難い傷を刻み込みました。

映画『夕凪の街 桜の国』は、心身に傷を負い、やがてそのまま死に絶えていった女性と、その伯母の哀切なる思いを知り、受け止めて、自分の人生をみつめなおしていく現代女性の物語です。原作はこうの史代。今、話題の『この世界の片隅に』の原作者でもあります。

本作では、原爆により父と妹を失い、生き残った苦悩をかかえて暮らす皆実(麻生久美子)、幼いために水戸に疎開していて被爆せずにすんだ弟の旭(伊崎充則/堺正章)、そしてその娘七波(田中麗奈)をめぐる生と死と追悼と再生のドラマが、感傷の色に染まることなく丹念に描かれています。

形式上、二つの時制の物語が截然と分かたれています。それは、ある断絶や風化を示してはいるのですが、やがては二つの物語は交叉しあい重なりあっていきます。

被爆者の二世が自分たちのルーツを再発見し、そのことによってあらためて生きる糧を得ていく物語をとおして、原爆投下という愚劣な行為が歴史の中に閉じ込められていくのではなく、現在進行形の問題であり、また未来への課題であることが浮き彫りにされるわけです。

不満がないではありません。とくに後半の物語「桜の国」は、話の設定のしかたにやや無理を感じさせるし、説明過多な脚本がややもすると映画的感興をそいでしまいます。しかし、それもこれも作品そのものの評価を下げるほどのことではないでしょう。

麻生久美子も田中麗奈も悪くないけれど、二人をつなぐ重要な役どころの藤村志保の所作が印象的でした。うちわの使い方一つにも日本女性のユーモアとエレガンスが宿っています。映画としては『この世界の片隅に』よりも、この作品の方に私は強くひかれます。

*『夕凪の街 桜の国』
監督:佐々部清
出演:田中麗奈、麻生久美子
映画公開:2007年7月
DVD販売元:東北新社

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