なぜ政治はわかりにくいのか_Fotor

「理性の政治/政治の理性」をもっと重視しよう〜『なぜ政治はわかりにくいのか』

◆西田亮介著『なぜ政治はわかりにくいのか 社会と民主主義をとらえなおす』
出版社:春秋社
発売時期:2018年1月

なぜ政治はわかりにくいのか。本書は一見素朴なそのような疑問から出発します。なぜ政治はわかりにくいのか。西田亮介はその問いに対して二つの次元から答えを導き出そうとします。

①政治そのものに起因する問題②政治の外部に起因する問題──という仕分けです。

①に関しては、第一に、昭和から平成時代にかけて政治と社会それぞれが大きく変化したことが大きい。また、戦後の期間を通して「保守」「リベラル」などの現実政治を分析する概念装置の使われ方が反転し、従来から論争的であった概念装置そのものの自明性がますます不透明なものになったことも政治のわかりにくさの一つの要因になっているのではないか──。西田はそのように指摘します。

②については、政治の外部すなわちメディア、教育と政治との関係が考察の対象となります。

まず政治とメディアとの関係はどうでしょうか。いまやインターネットが普及する一方で、伝統的マスメディアにおいて重要な役割を果たしていた新聞が存在感を失いつつあります。また政治家の側がメディアを通した情報発信の手法を改善し、生活者によい印象を与えるべく資源を投入した始めました。そこでは虚実ないまぜの情報が飛び交います。

西田は現代の政治とメディアの関係を「慣れ親しみ」の関係から「対立・コントロール」の関係へと変化する移行期にあると見ます。移行期における混乱が、私たちに政治をわかりにくくしている原因の一つとみるのです。

ネットで得た情報の真偽をネットで調べてみたところで、それが本当に信頼できるかどうかはよくわからない。個人のメディア・リテラシーに期待しても、現実的にはむずかしいといいます。ではどうすればよいのでしょうか。

西田は「暫定的な解」をやはりジャーナリズムに求めます。「権力監視がジャーナリズムの本業であり存在理由だからです」。
新旧のメディアが浸透しあって相互に影響する状態を維持しながら、権力監視の機能を強化して政治を少しでも国民に近づけていくしかないということなのでしょう。

さらにもう一つ義務教育を中心とした政治教育が十分に機能していないことも「政治のわかりにくさ」に関係しています。義務教育の現場では、政治的中立性が強く意識される一方で、政治に対する批判的視線や権力監視について学べているとはいえません。学習してきた理論から大きく離れた事態を目にして、いきなり「投票してください」と言われても困るというわけです。今後は真の意味での主権者教育の充実化が望まれるのではないでしょうか。

以上のような分析を踏まえたうえで、理性の重視ということを結論的メッセージとするのです。

私たちの情に訴えるアプローチは巷間にあふれかえっています。人間の認知には限界があるとしても「それでもなお」「『理性の政治/政治の理性』をもっと重視すべきだ」という本書の結語は月並みといえば月並みですが、一人ひとりが個人プレーで理性を働かせよというよりも、社会全体として理性を重視しうる環境を整えることに注力しようというニュアンスと受け取ればよいでしょうか。いずれにせよ、ここで奇を衒った処方を叫ぶような学者の方こそ私には信用できない気がします。

同じ宮台真司門下の堀内進之介は『感情で釣られる人々』のなかで「理性的過ぎることが問題になるほど人類が理性的であったことは一度もない。理性それ自体への批判は重要だが、それは、いまだ十分に理性的でないことへの批判であるべきではないだろうか」と述べています。
「理性の政治/政治の理性」が未だ不充分ならば、その充実化を目指すほかありません。 

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?