親米日本の誕生_Fotor

民主主義や合理性への憧れ〜『「親米」日本の誕生』

◆森正人著『「親米」日本の誕生』
出版社:KADOKAWA
発売時期:2018年1月

日本の親米意識さらには対米従属を相対化し、そこからの脱却を促す言説は多く提起されています。対米従属の構造や意識はもちろん敗戦後、歴史的に形成されたものです。そうした事態を批判的に論評する場合、主として政治的・軍事的な文脈において問題化されるわけですが、むろん話はその次元にとどまるものではありません。私たちの日常生活全般においてアメリカ化は深く浸透したといえます。

米国への憧れと嫌悪、それを通した日本のナショナルアイデンティティ構築は、吉見俊哉が『親米と反米──戦後日本の政治的無意識』でメディア社会学の見地から論じたことがあります。

文化地理学者の手になる本書は吉見の論考を別の観点から補強するものといえるでしょう。具体的には敗戦直後から1970年代ごろまでの日本において、アメリカ的な神話を体現する様々な商品がどのように受容されてきたかのかを検証しています。

戦後、アメリカの生活スタイルを規範にして日本人がすすんで取り入れたものは枚挙にいとまがありません。チョコレート、チューインガムは象徴的なアイテムですが、ほかにもパン、缶詰、冷凍食品などの食材のほか、洋風住宅、電気製品、自動車などが挙げられます。家計簿をつけることも知識人やメディアによって積極的に推奨されました。

興味深いのは、それらがいずれもアメリカ的な自由や民主主義という大義名分とともに推進されていったことです。

たとえば冷蔵庫や冷凍食品は、食品を備蓄することによって主婦の家事の合理化につながり、さらには「栄養の平等」つまり「栄養の民主主義」とでも言うべきものを実現するとされました。缶詰やインスタント食品の利用がもてはやされたのも同じ理由です。

家計簿をつけることもまた日常生活の合理化につながるものとして主婦向けの雑誌などが盛んに特集を組みました。家計簿の記帳は家庭内の問題を可視化する手段としても有効と考えられ、とりわけ主婦がそれを実践することで女性の家庭内における権限の向上が示唆されることもあったようです。

むろんそれらはバラ色の結果ばかりをもたらしたわけではありません。「アメリカ的民主主義というイデオロギーは決して『自由』であるばかりではない。性差に基づく分業を神話化する」と森は指摘しています。アメリカを範とする種々の生活改善運動は、同時に家庭内の分業をうたうものでもあり、炊事や家事などは女性の分担という意識や行動規範はこの時期に強化されました。「各々が社会の中で責任を持つことと、女性が主婦として家庭内労働に特化すること」とが同一視されたのです。

その後、日本社会が経済成長期に入ると、アメリカへの憧れも単純なものではなくなってきます。日本人が自信を持つのに伴って「日本らしさの回復」が目指されるようになるのです。その意味では、日産スカイラインのコマーシャル「ケンとメリー」のシリーズは象徴的です。そこでは「日本人のようだが、その顔貌は『外国人』のように『濃い』」ケンが、ブルネットで青い目のメリーを助手席に座らせています。「それはかつての自動車産業における力関係の逆転を印象づける」のです。

とはいえ、そうした「日本らしさの回復」は「アメリカ神話の構図の中に依然としてあることには注意が必要である」と森は釘をさすことを忘れません。そこでは「支配する者、支配される者が一時的に入れ替わっただけなのである」と。

ありていにいえば「親米」感情と「反米」感情は表裏一体のものともいえるでしょう。それは既述の吉見が強調したところでもあります。その両義的な心性こそが戦後日本の主体性を形成したという点では本書も同じコンテクストを形成しているのですが、物質を所有することで提供されることが「暮らしの向上」のみならず民主主義や合理性といった理念的なものを含んでいたという指摘には大いに教えられました。 日常生活のイデオロギーは時にイデオロギーであることを忘れさせるほどに身体化されてしまうものなのです。

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