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若者におくる生き延びるための知恵〜『転換期を生きるきみたちへ』

◆内田樹編『転換期を生きるきみたちへ ──中高生に伝えておきたいたいせつなこと』
出版社:晶文社
発売時期:2016年7月

社会のさまざまな分野で綻びが目立つようになってきた昨今、既存の考え方では通用しない時代がやってきた、そのように言う人が増えてきました。
人はとかく自分の生きている時代を歴史的に過大に意味づけたがる習癖がありますから、そうした紋切型の認識には注意が必要かと思いますが、とにもかくにも今や「歴史的転換期に足を踏み入れた」のだと思う人が多いことは間違いありません。本書もまたそうした文脈でつくられた本です。

今、私たちが果たさなくてはならない最優先の仕事は「今何が起きているのか、なぜそのようなことが起きたのか、これからどう事態は推移するのか」を若い人たちに向けて語ること。そうした趣旨で内田樹が仲間に寄稿を呼びかけてできあがったのが本書です。

同じ版元から出た同種のアンソロジーとしては『街場の憂国会議』『日本の反知性主義』につづく第三弾ということになります。内田のほかに寄稿しているのは、加藤典洋、高橋源一郎、平川克美、小田嶋隆、岡田憲治、仲野徹、白井聡、山崎雅弘、想田和弘、鷲田清一。
上に記したとおり、本書の基本認識には必ずしも賛同しないものの、書き手に私の愛読している人が多く入っているので手にとった次第。

内田樹は「言葉を伝えるとはどういうことか」を若者に向けて問いかけます。講義や講演での実体験をベースに、他人の話を「頭で聴く」ことと「身体で聴く」ことの相違を説いて、目指すべきコミュニケーションに一つの指標を与えてくれます。つっこみどころもなくはないのですが、良くも悪しくも内田節を味わうことができる一文。

文芸評論家の加藤典洋は憲法九条の改定案を提示しながら、日本の戦後を振り返り、来たるべき将来の国のあり方について考察しています。憲法解釈に関して左右両派に批判の目をさしむけ、国連を中心におく改憲案はすでにあちこちで発表したものの要約で、加藤の愛読者には新鮮味に欠ける内容ですが、戦後民主主義を考えるうえでの一つのたたき台にはなるかもしれません。

高橋源一郎は広島訪問時のオバマ大統領のスピーチを取り上げて、その技術的洗練とそれゆえに覚える違和感について語ります。オバマの演説には「私」はあまり出てこなくて「私たち」という代名詞が頻出することを指摘し、その抽象性を剔出する論考には一理あると思いました。

平川克美は人口減少に関する筋違いの俗論を論破して、これからの社会のあり方を展望しています。現在の日本は移行期的混乱にあり、そこから抜け出すためには定常化社会のイメージを描けるようになることが必要だといいます。法律婚以外の家族のあり方を制度的にバックアップする必要性を主張するのは特段に目新しいものではないけれど、一つの見識を示すものといえるでしょう。

小田嶋隆は若者と職業、夢の関係について語ります。村上龍のベストセラー『13歳からのハローワーク』を批判的に言及しつつ職業に生き甲斐を見出そうとすることの非現実性を指摘します。村上本批判は各方面からすでに数多く提起されていますが、文章の随所に小田嶋らしいエスプリが効いていて読者を退屈させることはありません。

現代民主主義理論を研究する岡田憲治は同調圧力の強い現代日本の社会のあり方に疑義を呈しながら、それに抗う必要性を力説します。空気ではなく言葉を読み、書き残すこと。自分の言葉で語ること。愚直なメッセージには違いありませんが、この後に顕在化した諸々の政治スキャンダルをみていると、若者だけでなく責任ある大人たちにも切実な意味をもったメッセージといえそうです。

生命科学を専攻する仲野徹は科学者の立場から、根源的な思考について思考しています。よく思考するための思考法とでもいえばよいでしょうか。科学とは疑うことによって、時には破綻することによって進歩してきたという科学史のあらましはいかにも若者に向けた話として相応しいものかもしれません。科学的な思考スタイルは日常的にも有意義であることを示唆して本書のなかではひときわ異彩を放っているように感じられます。

白井聡は、ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を引用して、日本の「消費社会」化を否定的に論じます。政治においても有権者が「お買い物」の論理をもって振る舞うことの弊害を説くのは、想田和弘のいう『消費者民主主義』論と重なり合う点が多いでしょう。国民主権の政治社会にあっては国民の知的レベルの向上なくしては政治の向上はありえません。

山崎雅弘は、自身の研究テーマを下敷きに、国を愛することについてあらためて問題提起します。太平洋戦争で命を落とした多くの日本軍人の死は「無駄」であったのか。その問いに山崎は「『無駄か、そうでないか』は、現在と将来を生きる世代のとる行動によって決まるのです」と応えているのが印象深い。戦後民主主義の価値観に見合う「愛国心」について問いかける一文は山崎らしい問題意識を感じさせるものです。

映画作家の想田和弘は、現在の日本を「中年の危機」にたとえ、それに見合った社会の再構築を呼びかけます。競争よりも協働、収奪よりも支え合い、量よりも質。こうした議論に対しては同じようなリベラリズムを信奉する論者からも異論はありうるかもしれませんが、富の再分配や相互扶助を重視する考え方そのものを否定しきることは困難でしょう。

哲学者の鷲田清一は、自衛のネットワーク、地方に賭ける自立性の回復を訴えます。地方とは中央の対義概念ではなく、町方に対置される言葉であり、その観点から、自分たちの生活の再構築を探っていこうとする論考はニュアンスに富んでおり、興味深く読みました。

言葉の力。憲法。科学。愛国心。直接語られるテーマは各人各様ですが、それらの考察をとおして、これからの時代の生き延びるための知恵や道標が示されていく。若い読者がどのように受け取るのか私にはまったくわかりませんが、書き手の個性がにじみ出た読みでのあるアンソロジーといえるでしょう。

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