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「メロドラマ」の佳品〜『オーケストラ!』

まずこれは実によく出来たメロドラマ映画といえます。
ここにいうメロドラマとは「メロス(歌)」または「メロディ」と「ドラマ」の合成語として生まれた最初期の語義に則したものです。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調をモチーフに、クラシックの名曲を全編に響かせながら、悲劇的な過去を共有する指揮者と楽団員が織り成す音楽ドラマ。無論、今日的な語意におけるメロドラマ的お涙頂戴的な要素も含まれてはいます。
同時にこれは紛れもなくコメディ映画でもあります。いや基調はコメディであるといってもいい。この映画の荒唐無稽なプロットからして、苦悩から歓喜へと至るベートーヴェン的な人間の劇として生真面目に演出することは最初から放棄されていたでしょう。

ロシア・ボリショイ劇場で掃除係として働いているアンドレイ(アレクセイ・グシュコブ)。みるからに冴えない中年男ですが、彼はかつてこの劇場のオーケストラで天才指揮者とうたわれた人物でありました。30年前、ブレジネフ時代の反ユダヤ政策に抵抗したため、多くのユダヤ人楽団員とともにその職を追われたのです。

ある夜、居残りで劇場支配人の部屋を掃除しているところへ、一枚のファックスが届きます。パリ・シャトレ座からの出演依頼。予定していたロサンゼルス・フィルの演奏会が中止になったため、その穴を埋めるべくギャラの安いボリショイ管弦楽団にオファーがきたのです。アンドレイはこのファックスを支配人に見せず、自分たちでニセのオーケストラを結成し、パリに乗り込もうと企みます。演奏曲目に選んだチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、自分が指揮台に立っていた頃から究極のハーモニーを追い求めてきたこだわりの曲。

親友だったチェロ奏者のサーシャ(ドミトリー・ナザロフ)は今は救急車の運転手をして糊口をしのいでいます。最初に話を持ちかけられた彼はアンドレイの熱意に押されて協力することに。そうして救急車を走らせてかつての仲間たちのもとを訪ねていきます。タクシー運転手、蚤の市の商人、ポルノ映画のアフレコ担当……。様々な職業に就いている彼らもまた音楽に対する夢を失ってはいませんでした。彼らの多くは喜んでパリ行きに賛同します。パスポートとビザは正規のルートでは間に合わないので、ジプシーのヴァイオリン奏者・ヴァシリに偽造を依頼。

パリに到着した後も、ドタバタは続きます。楽団員たちはシャトレ座のスタッフにギャラの前払いを要求し、それを呑ませます。相手の提示するスケジュールを無視し、リハーサルも行なわず、楽団員たちは皆パリの街中へと繰り出していきます。

これらと並行してもう一つ重要な人物のことが語られます。アンドレイが強引に指名したソリスト、フランスのスター演奏家アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)をめぐる物語。本人には隠されてきたのですが、実は彼女はボリショイ管弦楽団とは切っても切り離せない宿命的な関係にあったのです。

この映画の描写で特徴的なのは、洗練されたパリと武骨で時代遅れで無秩序なモスクワの人々とが前半からクライマックスに至る直前まで意図的に明瞭に描き分けられている点です。

ボリショイ劇場の現支配人になりすました元支配人が得意のフランス語でシャトレ座と交渉するシーンなどケッサクです。パソコンの液晶モニターが大きなデスクに備えつけられたシャトレ座のスマートなオフィスと、かたやボリショイ劇場地下の物置に陣取って、ダイヤル式の電話で必死の交渉をしかけるアンドレイたちとの好対照。
本番前夜、アンドレイとアンヌ=マリーは互いに理解しあおうとレストランで会食するのですが、アンヌ=マリーはシルク地の美しいブラウス姿で現われるのに対して、アンドレイのネクタイは曲がり、スーツはだぶついています。

コンサートマスターとして加わるジプシーのヴァイオリン奏者・ヴァシリとアンヌ=マリーが初めて顔を合わせた場面のやりとりは、ちょっとスパイスがきいています。ヴァシリが即興的にパガニーニのカプリースを演奏するのを聴いて驚いた彼女は「そんな弾き方初めてだわ、どこで勉強したの?」と尋ねます。が、ヴァシリは怪訝な顔をして「なんだ、この女は」とその場を去っていくのです。ヴァシリにとって音楽とは勉強して身につけるものではなく、自然と身体にしみついたもの、ということなのでしょうか。

それにしても、ラストを飾る12分間のコンサートシーンは映画的にも音楽的にも面白く出来上がっていると思います。
オーケストラの演奏は素人の耳にもわかるバラバラのひどい音で開始されます。しかし、アンヌ=マリーの独奏が始まり、その熱い演奏に導かれるようにして、心も音も一つになり、アンドレイが追い求めてきた究極のハーモニーが生み出されていきます……。

チャイコフスキーの協奏曲は第1楽章だけで20分前後を要しますが、音楽監督を務めたアルマン・アマールは12分の曲に編曲しました。当然いくつかの小節がカットされていて、音楽通からは批判があるかもしれないけれど、不自然さを感じさせないアレンジで私は気になりませんでした。
またコンサート・シーンでは、この楽団と指揮者を襲った過去のエピソードがフラッシュバックされます。そのなかでアンヌ=マリーの生い立ちも明かされる、という演出・編集も悪くありません。

監督のラデュ・ミヘイレアニュはルーマニア生まれのユダヤ人。父はナチスの強制収容所から脱出してきた人物で、ラデュ自身はチャウシェスク政権の時代に亡命し、イスラエルを経て現在フランスに住んでいます。20世紀の独裁国家における過酷な圧政の歴史を二代にわたって身をもって体験してきたといえましょう。
しかし本作においてミヘイレアニュはみずからの体験で得た政治観をストレートに表出するのを避け、あくまでコメディのヒューモアにくるんで差し出しました。政治の「大きな物語」を声高に描出するのではなく、したたかにたくましく生きようとする人々の個別具体的な姿に向けて想像力を発揮したのです。

アンドレイはいいます。「オーケストラは一つの社会なんだ、それこそがコミュニズムなんだ」と。圧政は否定するが、協奏ならぬ競争原理が幅を利かせる先進資本主義にもミヘイレアニュ監督はアイロニカルな視線を注いでいるようにもうかがえます。

ハーモニー。それは音楽のワクを超えて人間社会のキーワードとして、ここでは言及されているのです。

*『オーケストラ!』
監督:ラデュ・ミヘイレアニュ
出演:アレクセイ・グシュコブ、メラニー・ロラン
映画公開:2009年(日本公開:2010年4月)
DVD販売元:ハピネット

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