陰謀の日本中世史_Fotor

単純明快な「真実」には注意すべし〜『陰謀の日本中世史』

◆呉座勇一著『陰謀の日本中世史』
出版社:KADOKAWA
発売時期:2018年3月

「陰謀」とは辞書によれば「ひそかに計画する、よくない企て」とあります。古代から現代に至るまで人間社会では日常的に行なわれてきた行為といえるでしょう。ただし歴史で問題になっている「陰謀論」をそのような当たり前の語義で理解してはいけないらしい。

本書では「陰謀論」について「特定の個人ないし組織があらかじめ仕組んだ筋書き通りに歴史が進行したという考え方」と定義しています。ある出来事について特定の個人や組織によるシナリオどおりに事が進んだとみなして歴史を語ること。なるほどそれは一つの見方ではあるでしょうが、そのような事例が歴史的な大事件においてどれほどあったのかは甚だ疑問。一概には否定できないとはいえ、具体的に提起されている歴史にまつわる陰謀論には無理なものが大半でしょう。人間社会の出来事から想定外の事態や偶然を排除するような理解の仕方にはまったく賛同できません。

呉座勇一は、そのような陰謀論を黙殺するのでも一笑に付すのでもなく、きちんと歴史学的方法の俎上に載せて、研究者らしくあくまで地道に資料検討を行なったうえで粉砕していきます。具体的には、応仁の乱における日野富子悪女説や本能寺の変における種々の黒幕説などを再検討しています。

応仁の乱は足利将軍家の家督争いが発端という理解が一般的です。そしてその元凶になったのは日野富子であり、彼女が我が子可愛さのあまり将軍にしようとして画策し、その結果戦乱に発展したという図式は単純明快でわかりやすいものです。
しかし、その後の展開をみると人間関係は入り組んでおり、畠山氏の一大名家の御家騒動なども絡んで、複雑な展開をみせました。日野富子の企みだけで応仁の乱を説明することは到底できません。

また本能寺の変については、様々な黒幕説があるらしい。その前提には「明智光秀ごときが単独で織田信長のような英雄を討てるだろうか」という人間心理があるようです。1990年代に登場したのが朝廷黒幕説ですが、公武結合王権論が主流になった現在では説得力を失っているといいます。それ以外にもイエズス会黒幕説(立花京子)や徳川家康黒幕説(明智憲三郎)などが提起されていて、本書では逐一その矛盾点に批判を加えています。

陰謀論は単純明快でわかりやすいうえに、「教科書の記述を盲信する一般人と違って、私は歴史の真実を知っている」という自尊心を与えてくれます。その点が人気を博す一つの理由だと呉座はいいます。しかし「過去を復元することの困難さを知る歴史学者は安易に『真実』という言葉は使わない」。

本書の趣旨はもともと怪しげな珍説奇説を否定する作業が中心ですから、目から鱗が落ちるような知的な驚きを感じる場面に乏しいのは当然でしょう。著者の真摯な史学研究者としての書きぶりを味わう。そのような本ではないかと思われます。

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