上方らくごの舞台裏_Fotor

古典から平成の新作まで〜『上方らくごの舞台裏』

◆小佐田定雄著『上方らくごの舞台裏』
出版社:筑摩書房
発売時期:2018年12月

上方落語に関する薀蓄や芸談といえば故桂米朝の著作が群を抜いて優れていると思います。講談社文庫に入っている『米朝ばなし』は上方落語愛好家には必読の書といっていいでしょう。実演者以外の書き手ということなら、やはり落語作家として活躍している小佐田定雄が真っ先に想起されるでしょうか。

本書は上方落語の演題38席を取り上げ、その解説に加えて、十八番にしていた落語家やゆかりの芸人の思い出話を盛り込んでいく、という趣向です。上方落語界に幅広い人脈を築いている著者ならではの本といえるでしょう。

六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝、三代目桂春團治、桂米朝ら四天王と呼ばれた名人が登場する文章ももちろん読みでがありますが、マスコミに出る機会は少なかったものの高座では優れた話芸を披露していた落語家たちの挿話を読むことができるのも悦ばしい。

〈網船〉という演目は不勉強ながら本書で初めて知りました。六代目笑福亭松喬の持ちネタであったらしい。元気な頃、東京で何度か実演に触れる機会があり、端正な高座姿は今も脳裏に焼きついています。著者自身が古い速記本から台本に仕立て直した演目ということで、松喬の回顧談もしんみり読ませる内容になっています。

上方落語には珍しい人情噺〈鬼あざみ〉は四代目桂文團治が伝え、弟子の四代目桂文紅が十八番にしていたといいます。
長屋に住む安兵衛と後妻のおまさ、亡くなった先妻との間に出来た一人息子の清吉。清吉は盗みの真似事をしている。安兵衛は堅い商家に奉公に出す。ところが清吉は店を逐電、次に現われた時には「鬼薊の親分」と呼ばれるほどの盗人になっていた……。江戸の〈双蝶々〉に似た噺です。文紅は大喜利では知性派として活躍したらしい。

〈死ぬなら今〉は三代目桂文我が手がけていたネタ。東京の八代目林家正蔵から教えてもらった噺で、その際「この噺はあたしが二代目三木助師匠から教わったもので、今は大阪で演る人がいない。これは、あなたにお返しします」と言われたのだといいます。東西による切磋琢磨と交流によって栄えてきた芸能分野らしい粋な挿話です。

〈豆屋〉では、数少ない録音を残している先代の桂米紫の思い出話をひとくさり。米朝一門の一番弟子となった経緯なども興味深いし、上方落語協会の事務局長としての務めも果たしていた米紫の人間味を伝えて味わい深い一文です。

番外として収録されている新作〈山名屋清里〉の裏話も自慢話めいてはいますが、面白い。江戸・吉原を舞台とした廓噺で、そもそもはタモリがとある番組で、田舎侍と花魁の美しい友情物語を記した資料を発見したのが事の発端。それを笑福亭鶴瓶に「落語にしてよ」と直談判し、鶴瓶と小佐田=くまざわあかねとの共同作業が始まります。時間はかかったものの、一席の新作落語として完成し鶴瓶によって実演されました。それを見た中村勘九郎が歌舞伎化をもちかけ、晴れて歌舞伎座でも上演、カーテンコールまでおこる人気を博する──という幸福な生まれ方をした演題です。

後半には囃子方の舞台裏を草した一章も加えられていて、ふだんあまり話題にされることが少ないテーマだけに貴重なものといえるでしょう。

ただし個人的には途中ダレる箇所もないとはいえません。〈みかんや〉の項目で展開されているアホをめぐる東西の比較論などは相変わらずステレオタイプのような気がしますし、「昔の庶民は、暮らしは豊かではなくとも心はとても豊かだった」など作家とも思えない紋切型表現が出てきたりするのも感心しません。

それはそれとして、本書は同じちくま新書から出ている『枝雀らくごの舞台裏』『米朝らくごの舞台裏』につづく《らくごの舞台裏》シリーズの第三弾です。既刊書と演目がかぶらないよう配慮したためか、ここに取り上げられているものは実演に接する機会の少ない珍品や新作ネタも少なからず含まれています。諸手を挙げて賛辞を贈りたくなる本ではないけれど、渋い構成の滋味豊かな本であることは確かです。

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