見出し画像

群衆劇の王道をうたいあげる〜『歓喜の歌』

プロのオーケストラやアマチュアのコーラスグループが、年末になるとベートーヴェンの交響曲第九番を演奏したり、合唱部分の《歓喜の歌》を歌ったりというのは、日本だけに顕著な現象のようです。わが国にあっては《第九》の公演はいわば年中行事化しているわけで、それ故にしばしば島田雅彦いうところの「手だれた演奏」がそこかしこに出現することになります。

映画『歓喜の歌』は「年中行事」としてのありふれたイベントがホール側のケアレスミスによって、次第にドラマティックな色合いを帯びていく物語。立川志の輔の新作落語を映画化したものですが、お話としては実によく出来ています。

とある地方都市の文化会館。いい加減で絵に描いたような「お役所仕事」に日々勤しむ飯塚主任(小林薫)は、大晦日のママさんコーラスを誤ってダブルブッキングしてしまいます。プライベートな問題でも借金のトラブルを抱え込んでしまった彼は、二つのママさんコーラスの間にはさまって、毅然とした対応策をとることができずパニック状態に。そんななか一方のコーラスグループから合同公演のアイデアが持ち出されます。クライマックスとなるそのステージに向けて、ホールを切り盛りする主任や部下の加藤青年(伊藤淳史)の右往左往、ママさんたちの奮闘ぶりなどが描写されつつ、ドラマは歓喜の大団円へと向かって進んでいく……。

ストーリーだけ追えばクサくなる話には違いありませんが、落語がもっている喜劇性をそのまま活かして主人公の公務員を思いきり戯画化し、コーラスに参加するママさんたちに庶民の哀感をしみ込ませています。
映画がこれまで蓄積してきたエンターテインメントの要素を目一杯詰め込んで、最後まで観客を退屈させないもっていき方は、娯楽映画の本道といっていいでしょう。しかし単なるコメディというわけでもありません。公務員が自分の仕事の大切さに目覚めるという点では黒澤明の『生きる』を想起させ、音楽にまつわる群集劇の面白さという面では井筒和幸の『のど自慢』を思い出させます。

ステージに立つママさんたちの頑張りや歓喜の歌に触れて、それぞれの家族が絆を深め、周囲の者たちまでもが生きる力を得ていく……というドラマの核を成しているのは家族愛。
家族愛とは、これまた映画がドラマ性を有して以来のメインテーマで、そればかりが強調されると私は正直シラケたりもするのだけれど、ここでは嫌味なくその姿が活写されているし、安田成美演じる合唱団リーダーのファミリーなどいかにもマンガチックに造形されていて、それはそれで面白いと感じました。

予定調和といえば、これほど予定調和の世界もないでしょう。その観点からこうした映画を酷評する観客が存在することは想像も理解もできます。それでもメインキャストから脇役陣まで芸達者を揃えてこれだけの完成度で見せてくれるのなら、頭デッカチの実験映画や一人よがりのイメージばかりが通りすぎていくだけのアートな映画よりも数段マシというべきで、私はすすんで《歓喜》の世界に遊んだのでした。

*『歓喜の歌』
監督:松岡錠司
出演:小林薫、伊藤淳史
映画公開:2008年2月
DVD販売元:ハピネット

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?