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(16/11/05-06)旧樺太東線330km 普通列車の旅

※この旅行記は、日本式サハリン時刻表2017に掲載したものです。

 大泊港(コルサコフ)から豊原(ユジノサハリンスク)を経て敷香(ポロナイスク)に至る旧樺太東線は、日本統治時代の樺太第一の幹線であったという。急行列車も運転されており、大泊港を朝8時に出発し、敷香には夜19時の到着していた。車窓からは、樺太の雄大な景色を楽しむことができたという。
 時代は日本からソビエト、ロシアへと移り変わり、現在では、ユジノサハリンスクから北へ向かう列車は夜行列車が主体となった。普段着の夜行列車は、日本では絶滅寸前であり、それはそれで惹かれるものがあるのだが、やはりどうせ乗るなら車窓を楽しみたい。ところが、2013年にユジノサハリンスクからティモフスクを結ぶ昼行列車が廃止されてしまい、この区間を走る列車は夜行列車のみになってしまっていた。しかし、2015年にユジノサハリンスク~チーハヤ~ポロナイスクを結ぶ列車が復活した。この列車に乗るため、初冬のサハリンへ向かった。

 2016年11月3日。11月初めといえど、サハリンでは雪も降り、真冬日の日も多い。薄着を後悔しながら、翌日4日発北行の普通列車の時刻を確認しようとユジノサハリンスク駅へ向かう。駅に着くと、ロシア語で何やら掲示がある。悪い予感を感じながら掲示を翻訳してみると、なんとチーハヤ行は4日まで運休とのこと。サハリンでは前日になって突然列車が運休することがよくあるとはいえ、この列車に乗るために来たというのに、なんたることか。5日の列車まで待ってもいいが、翌日のポロナイスクの宿はすでに予約しているし、高かったのでキャンセルしたくない。そこで、先にポロナイスクへ向かい南行の普通列車に乗ることにする。翌日のポロナイスク行きのバスに乗ろうとするも、満席で切符が買えず、急遽今夜のホテルをキャンセルしてノグリキ行夜行列車「サハリン号」に飛び乗った。

 ポロナイスクで一泊し、2016年11月5日朝9時、ポロナイスク駅へ向かった。日本時代の敷香駅は町の中心部にあったが、現在のポロナイスク駅は町の北西にあった短絡線上に移転している。
 日本との時差が+2時間かつ高緯度のサハリンでは、9時はまだ夜明けすぐの時間だ。駅へ到着すると乗客がだれもおらず、また運休かと不安になったが、無事切符を購入することができた。ユジノサハリンスクまで518.4㍔。日本円で約850円である。安い。

 ホームへ出ると、たった1両の客車が止まっていた。これがチーハヤ行き6306列車で、チーハヤから列車番号が6304列車になり、ユジノサハリンスクまで直通する。車両は座席車(シジャーティ)で、リクライニングシートが集団見合式に並んでおり快適だ。普通列車といえどもロシアの客車なので、サモワールも備え付けられている。牽引するのはТГ16ディーゼル機関車だが、牽引する客車が1両のみなので、片ユニットでの運用である。

ポロナイスク発チーハヤ行6306列車 ТГ16-062A + 099-30140

 結局他の乗客は一人も現れず、定刻9:59分、機関士2名、車掌1名、日本人1名を乗せてポロナイスク駅を発車。すぐに旧敷香駅への線路が左に分かれる。列車はゆっくりとした速度で進む。北には中央山脈の山並みが見える。敷香岳だろうか。列車は海岸砂丘の上を行く。改軌工事のためのレールなどを載せた貨物列車とすれ違う。

車内の様子、リクライニングシートが集団見合い式に並ぶ
改軌工事列車 

 10:20、ガステッラ(内路)着。内路からは線路は海岸段丘の上に上がり、左手には綺麗に海が見える。真冬には流氷が打ち寄せるはずで、その時期にもう一度来たいと思う。

 発電所の煙突が見えてくると、ヴァフルーシェフ(泊岸)。この町は炭砿と発電所で栄えているサハリンでは大きな町のひとつで、上り「サハリン号」が停車し、ユジノサハリンスクからの直通バスもある。駅構内には改軌用のレール運搬車が犇めいている。泊岸を出ると、炭砿へ向かう線路が分かれ、炭砿から発電所方面へ向かう線路の下をくぐる。

 10:59ノーヴァヤ(新問)着。日本名新問という地が、新しいという意味のノーヴァヤと名づけられたのは偶然なのだろうか?ここから客が2名乗ってくる。新問川の鉄橋から、新問岳がよく見える。11月初めだが、川はすでに一部が凍っている。

凍結した新問川を渡る


 北海道にも大きな被害をもたらした今年の台風10号は、サハリン鉄道にも大きな被害を与えた。トゥマーナヴァ(柵丹)~マカロフ(知取)ではその復旧工事が今も行われている。海岸は、日本のようにコンクリートの護岸はなく、石が転がるだけの海岸である。景色としては美しいが、災害には弱そうだ。

 11:42マカロフ着。1人降りて2人乗る。次のポレーチエ(北遠古丹)駅は、ホームも駅舎もない場所に、ただ列車が止まるという路面電車の停留所みたいな駅。ザオジョルナヤ(樫保)に近づくと、樫保三ツ富士、幌内保岳の岩山が美しい。今日は晴れていて穏やかだが、植生のない岩山は気候の厳しさを思わせる。ТГ16が牽く貨物列車を追い抜く。列車は時速50キロくらいでゆっくりと走る。

貨物列車とすれ違う、背景の山は樫保三ツ富士


 ヴァストーチニィ(元泊)からは線路は海岸を離れ、峠越えの区間に入る。ここから再び海岸に出るヴズモーリエ(白浦)まで、3つの峠を越える。峠を二つ越え、プガチョヴァ(馬群潭駅)着。ここで、ユジノサハリンスクからの北行6305列車とすれ違うはずである。停車時間があるのでホームに降りようとするが、危ないから降りるなと車掌に怒られる。6305列車も機関車+客車1両の編成であったが、牽引機は入換用のТГМ7型であった。

 ロシアの客車には必ず車両ごとに車掌が乗らなければいけないと決まっているのか、この乗客少ない列車にも女車掌が乗っている。しかし、特にする仕事といえば、駅に近づいたら垂れ流し式トイレを施錠するくらいで、あとはスマホなどを弄って暇そうにしている。一応車内販売用に菓子やカップ麺を積み込んでいるのだが、誇り高き労働者の国の車掌は、堕落した資本主義国のように猫なで声で車内を売り歩いたりはしない。

 馬群潭駅を発車すると、左手に登帆岳、そして突租山の美しい山容を間近に眺めることができる。日本なら観光列車が走っていそうな区間だ。

車窓から見える登帆岳の美しい山容

 13:56チーハヤ(近幌)着。時刻表よりも4分早着である。ここで列車番号が6306から6304に変わる。車掌が行先票を入れ替える。なぜこの駅で列車番号が分かれているのかよくわからない(後の調べでは、ロシアでは普通列車の運転距離は200 kmまでという規制があり、規制を回避するために列車番号を変えて違う列車という体にしているようだ)。ТГ16牽引の貨物列車と交換。砕石を載せた貨車を連ねている。駅からも突租山がよく見える。

近幌駅に停車中の貨車と突租山

 北部横断線が分岐し、三角線になっているアルセンチェフカ(真縫)駅に着く。三角線上に列車はいない。サハリン鉄道は旅客列車が少なく、貨物列車が主体であると聞いていたが、結局ポロナイスクからユジノサハリンスクまでにすれ違った貨物列車はたった2本、追い抜いた貨物列車はたった1本だった。サハリンでも鉄道貨物輸送は衰退しているのだろうか?それとも夜行運転が主なのだろうか?

 14:40ヴズモーリエ(白浦)着。5、6人の客が乗り込む。白浦周辺はカニ売りの屋台で有名だ。気温は氷点下だというのに、路上でカニを売っている屋台がいくつか見えた。白浦からは再び海岸沿いを走る。海岸は砂浜である。国道を走るトラックが列車を追い抜いてゆく。海まで少し距離があり、函館線の長万部付近の雰囲気に似ている。晴れていた空に雲が広がってきた。

ヴズモーリエ(白浦)駅舎


 フィルサヴァ(小田寒)に近づくと、雪が積もり始める。海側は砂丘と国道が走り、山川はカラマツ林が続く。定刻15:10フィルサヴァ着。駅舎もホームもない駅。周辺には人家が数軒のみである。共同農場のようなものもある。駅を出るとすぐ小田寒川を渡る、現国道の手前に旧国道の橋脚が残っているが、日本時代のものだろうか?

小田寒川を渡る

 15:32サヴィツカヤ(相浜)着。積雪は20センチくらいになった。相浜を出て10分ほどで東側に白鳥湖が見えてくる。自然のままの枯草の湿原がずっと続く。遠くに見える山は野寒岳だろう。このあたりのレールは日本では少なくなった10 mレールなので、1分間にレールの継目音が何回聞こえたかを数えれば、列車の速度を知ることができる。数えてみたところ時速60キロであった。

白鳥湖の湿原

 早くも日が落ちてきた。内淵川を渡り、ストロドゥプスコエ(栄浜)からの廃線跡が合流すると、ドリンスク(落合)である。16:01着、2分の早着である。この列車のダイヤはだいぶ余裕をもって組まれているようで、しばしば早着が見られる。ここでマカロフからの客が一人降りる。

 落合を出ると、車窓は湿原ではなく白樺の疎林に変わる。16:19、ブィコフ線(旧帝国燃料興業内淵鉄道線)が合流して、ソーコル(大谷)着。ソ連式のアパートが数棟建っている。ここで車掌から列車の後寄りに移動するよう指示があった。どうやら、終点に着いて列車を清掃するまでが車掌の仕事らしく、乗客を後ろ半分に固めることで前半分の清掃を走行中に済ませてしまおうということらしい。日本ならSNSで叩かれて炎上しそうな事案だが、本来サービスなんてものはこの程度で十分なはずだ。一方日本では、無意味な「過剰サービス」が蔓延し、労働者自身の首を絞めつけるという歪んだことになっている。

 16:30、スタラルースカヤ(深雪)着。鈴谷山脈の上には雪雲がかかっている。沿線は原野ではなく農場に変わる。16:50、ナヴァアリクサンドラフカ(小沼)着。シネゴルスク(川上炭山)からの廃線跡はよくわからなかった。ルーガヴォエ(豊北)を過ぎると、火力発電所への引込線が分岐し、列車のスピードも時速45キロくらいにまで落ちる。

 17:05ユジノサハリンスク・グルザボイ(北豊原)着。3分早着。駅名はユジノサハリンスク貨物駅という意味で、その名の通り操車場の中の駅である。側線にはたくさんの貨物列車が並んでいる。列車は、終着駅に敬意を示すようにさらに速度を落とした。

 17:15ユジノサハリンスク着。到着は定刻であった。ポロナイスクからの288キロを7時間16分で走った。昭和19年には同区間は急行で9時間45分だったので、各駅に止まっても2時間半のスピードアップだ。ホームの向かいには、17:15発ナヴァディリビンスカヤ行きのД2気動車3両編成が止まっており、1分遅れで発車していった。

ユジノサハリンスク駅に到着


 さて、旧樺太鉄道線の残り区間、ユジノサハリンスクからコルサコフ(大泊)方面は、18:30ピャーチウグロフ行があり、今日中にコルサコフまで達することもできる。しかし、日が短い11月では日没後になってしまうので、今夜は駅前のホテルに泊まり、明日改めてコルサコフ方面へ向かうことにする。

ホテルユーラシアから見たユジノサハリンスク駅構内

 2016年11月6日。コルサコフ方面ピャーチウグロフ行の6013列車は、9:05にユジノサハリンスク駅3番ホームに入ってきた。Д2気動車3両編成。どうやらナヴァディリビンスカヤからの6006列車が、そのままコルサコフ行になるらしい。日が短い季節、コルサコフ方面で日中に走行するのは土休日運転の6013、6014列車だけである。エンジンが無くて静かな2両目に乗る。2両目の乗客は自分1人。3両目に乗客1人、Д2には車掌室がないので、1両目の1ボックスを女車掌が占領して業務スペースにしている。

Д2気動車の車内 日本製だけあって国鉄気動車と似た雰囲気

 9:10ユジノサハリンスク発。インスティトゥート、ヴァリシャヤエラーニ(大沢)と、短い間隔で駅がある。コルサコフ方面はしばらく旅客営業が休止されていたが、2015年に再開された路線である。再開にあたって大幅に停留所を増やし、利便性を高めようという姿勢も見られるが、運転本数が平日1.5往復、休日2往復ではあまりに不便すぎる。本数が少ない原因はどうやらД2の老朽化による車両不足にあるようなので、改軌によって新車が投入されれば、もう少し本数が増えるかもしれない。

 ショッピングモールと直結したシティモール駅、空港最寄りのハムトヴァ駅に停車。ハムトヴァ駅では、列車が踏切を塞ぐ形で停車する。しかも塞ぐ道路は空港への幹線道路だ。

 フリスタフォラフカ(豊南)9:36。駅北側には戦車が打ち棄てられており、側線に貨物列車が止まっている。マツリョフカ(中里)を出ると市街地は終わり、左右は原野となる。9:42、ダーチナヤ(新場)着。日本時代からのダーチナヤ駅は、ここより南側にあり、アニワ(留多加)方面への鉄道もかつて分岐していたが、運行再開に伴って集落に近い北側に移転したようだ。国道の向こうにはソ連式アパートも見える。

 ダーチナヤの旧駅跡を過ぎると、海岸に出る。亜庭湾だ。家が出てきて、鉄橋を渡るとソラヴィヨフカ(貝塚)駅。海の向こうには能登呂半島の山並みが見える。海岸は凍りつき、座礁船が放置されている。海岸を掘って何かを採取している人がいる。浜には大量のコンブが打ち上げられている。

亜庭湾の座礁船 


10:04、アパートが現れスターリーバグザール(楠渓町)着。3分の早着だ。10:08コルサコフ着。海側には油槽所と側線があり、タンク車が停まっている。ТГ16機関車の姿も見えた。どうやら貨物輸送は健在のようだ。枕木は改軌対応の3線式のものに取り換えられている。

 コルサコフからは列車は時速20キロくらいのスピードでゆっくりと走る。港に直結したプリスターニ駅を発車すると、10:14終点ピャーチウグロフ着。線路の途中で緊急停止したような、まったく終点らしからぬ停まり方であった。ホームも1両分しかなく、バス停のような待合所があるだけである。ポロナイスクから329キロ、乗車時間計8時間半。旧樺太東線普通列車の旅は終わった。

ピャーチウグロフ駅とД2型

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