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最近の仮説まとめ:

日々の活力は愛おしさで、原動力は怒りから湧き出てくる。やりたいことを見つけるには、自らが諦めきれない怒りを見つけること、つらく険しい道になろうとも。ゆえに優しさは無関心ともいえる。

未知を断言できるほどの、熱量は大衆を動かす力を持つ。それらすべてを正義とも呼ぶ。正しい(誰にとって?)とはもちろん、限らない。

恋は自らの表現方法なので、どれもこれも、「いまの私がどう生きたいか」と「いまのあなたがどう生きたいか」が合うか、合わないかというだけ。相手よりも自らをかえりみたほうがいいのはその通りで、主語をわたくしにすること。懇切丁寧、説明ができるようになること。

おんなじ言語を使っていても、理解し合うのはとても難しい。根幹は自らを〜したい/してほしいという欲求に突き動かされているだけで、なぜその選択をとったのか、あなたに理解してほしいだけ。肩書きや成果、年齢よりも、私はあなたの考えが知りたい。

心を隠せば隠そうとするほど、わけがわからなくなるよ。つねに正直でいること。素直な人はひとを呼ぶ。

大地に感謝をするように、雨をよろこぶように。すべてを大きく広く捉えること。出来事は出来事でしかないと、漠然と捉えていていいし、もっとも明らかにならないことの方が多い。未知は刺激的で、いつでも楽しい。予測ができないことは、もっと楽しい。

これらは私が発見したことなどではなくて、自然の摂理の話なので、何千年も何億年も前から誰かしらが受け継いできたことを羅列しているに過ぎない。生をうけた何十年かでよく濾(こ)して、後に続く人たちに伝わったならいい。

根本的に、世界はずっと、何も変わっていないことを、私はたまに忘れてしまう。

草木の匂いをかいで、肩の力を抜いて生きていくことが、とても好きだ。

ただ、素でいるからといって、うまく生きられるとは限らないね。ロマンチックで、インスタントな時代に合わせて、もう少し、言葉を選ぶ必要があるのだろうね。

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