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【キャリア形成】”鶏口牛後”の姿勢でベンチャーに挑戦しよう

「会社員なんてただの歯車の一つだ、ピースの一つだ」と思っている人はいませんか?

GenZeeは否定しません。会社員は歯車です。会社のピースです。

でも、成長企業を金の時計と例えるならば、その輝く時計の、欠かすことのできない、とても重要な、歯車になってやろうじゃないか、と思うのです。

どんな大きな、優れた機械も、小さな部品の集まりです。でも、どれも重要ですし、その中でも、特に欠かせない、重要な部品があるはずです。そんなピースとなることを意識して、その全体の成長に大いに貢献してやろう、という気概を持って取り組むと、会社の成長と共に、自分の成長も実感できるのではないでしょうか。


ずっと会社員をしてきたGenZeeには、起業の経験がありません。

親が教員だったためとか、身近に起業家の知り合いがいなかったからとか、筋トレで頭が一杯で起業アイデアが浮かばなかったとか、色々理由はあるけれど、社会人デビューをした頃は、とにかく収入を得たい一心だったので、リスクを取って起業する勇気が無かったのが一番かもしれません。

しかし、学生時代~就職活動を開始した頃に特に意識していた、当時から今まで好きな言葉、座右の銘と言ってもいい、人生で影響を受けた四字熟語が、ベンチャー気質を育むことにはなったと思います。それは、

「鶏口牛後」

自己啓発書か古典か何かを読んでいるときに発見した四字熟語で、その意味を知って以来、頭に染み込ませるように意識していました。

”大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられる方がよいということ。

三省堂 新明解四字熟語辞典

これまでのキャリアを振り返ってみると、ベンチャーは起業しておらずとも、この「鶏口牛後」を体現できているのではと思います。

■ CSK
勤め始めた会社、CSKという会社は、当時のベンチャー起業家の代表とも言われていた、故大川功氏が起業した会社です。

NECや東芝やキヤノン等、当時は成長を続けていた大手メーカーではなく、ベンチャーのソフトウェア開発の会社に就職しようとした時、大学の教授からは、不安定、未知だニッチだと凄く反対されました。

そのCSKでは、一月で研修を終え、自ら手を挙げて最も忙しい部門に配属してもらい、半年後、全員が通常の研修を終えた卒業式では、新入社員総代を務めました。その後もトッププログラマーとして、各プロジェクトにアサインされて、良い研鑽を積むことができました。

後に株主構成が変わりCSK改めSCSKとなった現在は、CMでもよく見かける業績絶好調の大企業となりました。

その後30年間築いてきたキャリアでも、夫々の会社がまだまだ小さな規模だった時に入社し、その会社で欠かせない役割を背負って、成長の一旦を担ってきたように思います。

■ 第二電電(現KDDI)
(30年も昔の話)これからは通信の時代が来ると予感し、まだ半蔵門の小さなビルに本社を構えていた頃の初の民間電話会社に転職しました。当時は誰も戦う気のしない巨人、NTTに対抗すべく故稲盛和夫氏と、今もお元気な千本倖生氏が創業した、当時のベンチャー企業です。

当時業界ではDDIのことは”野武士集団”と呼ばれていました。そんな呼ばれ方を気に入り、門を叩いたのですが、気が付いたらPHSという新しい携帯電話の会社を立ち上げるプロジェクトに配属され、その後激動の創業期7年を過ごします。

その間、自ら企画して、PHSをモバイルデータ通信端末として、”いつでもどこでもインターネット”を標語にした新時代の電話の使い方の啓蒙をしました。その後会社は消えてしまったけれども、携帯電話の新時代の歴史の1ページを作りました。

■ Google
今では大企業となったGoogleには、日本にまだ200名程しか社員がおらず、認知度も低い、検索シェアも30%程しかない、ベンチャー時代に入社しました。

最初は、他に誰もやっていなかった、Googleツールバーのパソコンバンドルというビジネスを担当しました。その後はChromeブラウザのバンドル、Google検索エンジンのポータルサイトへの組み込み、アドセンス広告のニュースサイトへの掲載、といった取り組みにより、日本におけるGoogleの検索シェアおよび広告シェアを上げるためのあらゆる仕事を行い、5年程をかけ、日本での検索シェアを逆転することに大いに貢献しました。

その間、3~4回程昇進させていただき、ビジネス開発部門の日本と韓国チームのリーダーになることができました。

■ その他
AOL, eMobile, Napster、AppsFlyer、・・・他にも勤めた会社はいずれも、入社した時はまだ小さく、何もかもが立ち上げ中で、後に倒産したり、買収されて消えてしまったり、まだ小さいままだったりするベンチャー企業でした。

これらいずれの会社においても、学生時代から意識してきた「鶏口牛後」を実践するつもり、すなわち、

牛のしっぽ=大企業のぶら下がり社員 よりも、
鳥のクチバシ=小さい会社の重要なピース 
を担う

という意識で仕事をしてきました。


長いキャリアの過去を振り返ってみて、自分はベンチャー気質があったんだ、と最近気が付けました。

そしてまた、心の片隅に多少引っかかっていた、会社員は所詮歯車だ、という言われ方への違和感。これも今は違和感がありません。起業家でなくても、ベンチャー企業に貢献できる。そのベンチャーにおける、重要な、偉大な、鋼のような歯車になればいいじゃないか、と思うのです。

ベンチャー企業自体も、小さな島国日本を鶏と捉えれば、その日本のクチバシであり、日本の新時代にとって重要な役割を担うものだと思うのです。

今年からのGenZeeの仕事は、ベンチャー企業グループにおけるアドバイザー。10数社の子会社および20数社の投資会社、全てベンチャーという企業群への経営アドバイス。これらの企業の成長、成功をサポートし、そしてその結果、日本という小さなの国の成長の重要な一端を担う。そんなことをイメージしながら、日々若者に交じって奮闘しています。

ベンチャー万歳!


以上、「鶏口牛後のキャリア形成」でした。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

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