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【怖い話】プライベート・ビーチ #4

 兄が失踪して以来、私は海に行けなくなった。

 それはあの十五年前の朝、夜も開けぬ朝四時過ぎに届いていた、兄からのメールのせいだ。

 あのメールの内容を知っているのは、私だけだ。

 父にも母にも、友人にも、そして警察にも見せることはなかった。

 兄からのメールを開封したのは、“朝勉”を終え、家族で朝食を食べている最中だった。

 メールが届いていたことを思い出し、パンを口に運びながら、携帯電話を操作した。送信元に表示されている兄の名を見た時点で、私はなぜか嫌な予感がした。

 開封すると、予想していなかった長文が、縦長の画面いっぱいに表示された。

 私は驚いてしまって、思わず携帯電話を乱暴に閉じた。母親が怪訝そうにこちらを見たが、私はいつも通りを装って朝食を食べ終え、そして、携帯電話を持ったままトイレに行った。

 そして覚悟を決めて、全文を読んだ。

 青い顔をしていたのだろう。着替えを済ませ、勉強道具をトートバッグにつめていると、母親が心配そうに、体調が悪いのではないかと聞いてきた。心配性で臆病な母親は、今にも泣き出しそうな顔をしている。私は、少し寝不足なだけだと答えた。

 母親が冷蔵庫から小さな栄養ドリンクを持ってきて、私に手渡した。私はそれを受け取ると、笑顔をつくってお礼を言い、まだ薄暗い外に出ていった。

 日曜日は、近所の公民館に行く。もちろん勉強をするためだ。

 同じくらいの距離に県立の図書館もあるのだが、そちらの自習室は人が多いし、クラスメイトに会ってしまうかもしれない。そうするとあれこれとおしゃべりしてしまって、勉強に身が入らないので避けていた。管理人のおじいさん以外にほとんど人のいない公民館の方が、都合がいいのだ。

 しかしこの日は、自分の足が図書館に向かおうとするのを、必死に止めなければならなかった。クラスメイトでも誰でもいいから、私に味方してくれる誰かに、会いたかった。

 既に私は、兄がなんらかの方法で、この世から消えてしまったことを知っていた。

 父や母に何も言わず出てきたのは、ひとつは、おとなしくて繊細な彼らに、兄が消えたなどということを伝えるのが辛かったからだ。

 そしてもうひとつは、仮に伝えたとしても、すべては手遅れだということを、知っていたからだ。

 ブルブルと震えながら、公民館への道を歩いた。冷たい空気が、いやでも現実を感じさせた。不安で仕方なく、父や母に対する罪悪感が苦しかった。

 しかし、私は悲しいわけではなかった。

 恐怖はあった。兄が消えて寂しいとも思った。もう会えないのだと思うと心が張り裂けそうになった。

 しかし、私は悲しいわけではなかったのだ。

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