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おやじパンクス、恋をする。#001

この小説について
千葉市でBARを経営する40代でモヒカン頭の「俺」と、20年来のつきあいであるおっさんパンクバンドのメンバーたちが織りなす、ゆるゆるパンクス小説です。目次はコチラ。マガジントップはコチラ

 妙なことを覚えているもんだ、と自分でも不思議に思ったんだが、予定よりも二時間くらい遅れて家を出ようとした時に、俺はあることを思い出した。

 それは、本当に些細なことだ。例えば今着ているTシャツの柄みたいなもんで――FREE IS NOT FREE、赤いボディに黒字でそう書かれてある――いや、これは些細な事じゃあないな、なかなかの名言だと思う。つまりTシャツに書かれたメッセージよりも取るに足らないってことだが、まあ何かというと、ガキの頃によく行っていたレストランのことだ。

 今の俺はレストランなんかにゃ縁がない。結婚してた頃にはたまには行ったが、嫁と別れて一人暮らしを始めてからは、行かなくなった。だいたい、行く理由がない。いや、それ以前に店のほうが嫌がるだろう。

 何しろ俺ときたら、四十代にしてモヒカン頭で――しかもオレンジ色に染めてる――いっつも酔っぱらってて、服装は決まってTシャツとボロボロの黒ジーンズ、おまけにヘビースモーカーときてる。お上品なレストランが歓迎するわけがない。気取った店員に「お客様、申し訳ありませんが」とか何とか言われて、追い出されるのがオチだ。

 まあ、だが、俺が今日思い出したそのレストランっていうのは、そういうかしこまった感じでもないんだよ。

 食堂って言ったらさすがに失礼だけど、下町の洋食屋っていうのかな、値段だってファミレスとそう変わらなかった。カツレツが千円とか、オニオンスープが六百円とか、まあこれは適当だけど、だいたいそれくらいでさ。けど雰囲気は悪くなかった。牛丼屋とかカレー屋とかああいうのの逆っていうか、ほら、そういうチェーン店って「重さ」がないだろ。ぶん殴れば割れちまいそうなプラスチックぽいテーブルとか、いかにも大量生産しましたみたいなコップとか、店員の機械的な対応とかさ、なんか薄っぺらいじゃねえか。

 そのレストランは、高級とは言わないまでも、まあまあいい感じの店だった。敷いてある絨毯は分厚くて物がよさそうだったし、テーブルにはいつもパリっと糊付けされた真っ白のクロスがかかってたし、店員も蝶ネクタイとかしてよ、水には生のレモンスライスが浮かんでる、そういう店だったよ。味だって悪くなかった。

 俺が好きだったのはマカロニグラタンで、特別変わってるってわけじゃないが、美味かった。親父も瓶ビールじゃなくてワイン飲んだりとかしてさ、母親も変に化粧とかしちゃって、あの頃の俺、つまり小学生とか中学生の俺にとっちゃ、ちょっとだけ特別な時間、そんな感じだったんだよ。

 そんなわけで今日の朝、まあ昼って言ったほうがいい時間帯だったけど、ああヤベエ、遅刻だ遅刻だって焦って家を出ようとした時に、そのレストランを思い出したんだ。

 懐かしいなあ、まだあんのかなあの店とか思いながら、バイクが相変わらず調子悪いんで駅まで歩いてさ、さっきまでぐーすか寝てたってのに電車の中でまた寝ちまって、結局三駅くらい乗り過ごしたもんだから、会場に着いた時には目当てのライブは終わってた。まあ、目当てっつっても、別に憧れのバンドが来日したとかそういう話じゃない。いつものあいつら、気付けば二十年来つるんでるオッサンバンドのろくでもないライブさ。

 演る曲はあいつらに出会った頃から全然増えてねえし、ステージ登る前からガブガブ飲むもんだから演奏は最悪だし、盛り上がるのはこのご時世にパンクなんぞにかぶれちまった時代遅れなガキンチョくらいで、まあ要するに、客席含めてダメ人間の見世物小屋みたいなもんなんだけど。

 奴ら、俺が顔を出した時にはやっぱり既にでき上がっててさ、会場はパルコの横にある公園のステージだったけど、日曜の昼間だろ、カップルとかファミリーがニコニコ歩いているわけだ。そんな場所で奴らときたら、ホームレスみたく地べたに座り込んで、缶ビールとさきイカで宴会だ。いい歳して頭は金髪やらロン毛やら、もうすぐ夏だってのに革ジャン着て――しかもそこにはアホみたいな鋲が無数に打ち込んである――暑苦しいエンジニアブーツ履いて、楽しそうに大笑いしてやがる。それを呆れて見ていた俺に気付いたカズが、大声で喚きながら走り寄ってきて全力のドロップキック浴びせてきやがった。天然記念物級のバカだ。だが、クソ酔っぱらいの技をくらうような俺じゃねえ。軽く避けてやったら、あの野郎、地面と並行になった体勢のまま落下して、げひっとか気味悪い悲鳴上げてのたうち回ってんだよ。

 もう四十三だぜこれで。よく日本国民クビになんねえもんだよ。

 まあそんで俺も宴会に合流して、いつも通りワイワイ騒いで、三時過ぎくらいかな、ライブも終わりだってんで、飯食いに行くかっていう話になったんだ。カズは夜勤があるとか言って帰りやがったけど、今思えばあいつあんなベロベロでどうやって働くんだって感じだけど、とにかく俺とボンとタカと涼介四人で、どっか入ろうってさ。

 で、いつも通りそこらにあったガストに行ったんだけどこれがまた満員でさ。待合にずらっと家族連れが並んでやがる。革ジャンに長髪(またはモヒカン、または金髪リーゼント)、しかも酒の臭いプンプンさせて大笑いしてる俺たちを見てギョッとしててさ。別にそれが嫌だった訳でもねえ。こういうの慣れてるしさ。でも、単純に待つのが面倒で出ちまった。

 どうすんだよ、ラーメン屋でも行くかみたいな話して歩いてる時に、俺はふと思いついて言ったんだ。

「なあ、ちょっと知ってるとこあるから、行かねえか」

 そう、酔っぱらいの気まぐれで、俺はあのレストランに行ってみようと思ったわけだ。

 今朝思い出した、例の、マカロニグラタンがうまいレストランだよ。

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