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ルメール騎手と安藤勝己騎手の対談を読んで

競馬ブックで毎年恒例の「新春ジョッキー対談」にて、ルメール騎手と安藤勝己騎手がフランスと日本の競馬の違いについて語り合った。その対談の内容が、日本競馬の現状を鋭く指摘していて非常に面白かったので、ここに紹介したい。まず、日本の調整ルームについて話が及ぶ。

ルメール
「フランスにはレース前日から入らなきゃいけない調整ルームはないし、レース当日のジョッキールームではお互いにライバル同士なので、フレンドリーな感じにはなりません。それに、ジョッキー同士がふだん一緒に時間を過ごすことはあまりないんですよ」
安藤
「その感覚は分かるような気がする。プロなら本来、そうあるべきだろうね。日本はふだんから一緒にいるから友達みたいな感覚がけっこうある。僕は、フランス型の方がいいな」

ご存知の方も多いので詳しくは説明しないが、日本の調整ルームには、原則としてレースの前日の18時までの入室が求められる。調整ルームにいる間は、外部との連絡は一切禁止である。何をしているかというと、当然、各自の好きなことをしているのである。競馬新聞を読んで明日のレースに備えるジョッキーもいれば、小説を読んだり、音楽を聴いたり、テレビを観たり、ゲームをしたりする者もいる。そのような状況の中、プロフェッショナルであると同時に、彼らも人間であるから、ジョッキー同士が一緒に話したり、遊んだりすることがあっても自然だろう。

そのようなシステムに対して、安藤勝己騎手は違和感を覚えている。日本の調整ルームがダメということではなく、プロとしてはフランス型の方が良いのではないか。その理由として、以下のように語る。

安藤
「そうね。それに、日本では先輩後輩がいつも一緒にいて、その人たちが一緒にレースに乗る。上下関係がレースのやりにくさを生み、若手が伸びないことにつながっていくような気がする。レースでは本来、先輩も後輩も関係ないはずだけどね。フランスではどうかな?」
ルメール
「フランスではいつも一緒にいますよ。レースは毎日あるからです(笑)。ただ、人間関係は違う。ゴルフや野球を一緒にしたりしないし、レース中は相手が先輩であろうが後輩であろうが関係ない。だって闘いの場ですから。レース後にジョッキールームで話す時は、相手の年齢に合わせた話し方をしますけどね」
安藤
「やっぱり、そっちの方がいいな。外国人の方が総じて明るいしね。調整ルームにしたところで、なくしたほうが若手が伸び伸びやれるような気がする。」

レース中に上下関係がどのようなやりにくさを生むのかという疑問はさておき、それによって若手が思い切ったレースが出来ないというのであれば、それは大きな問題だろう。本来闘いの場であるはずのレースで、勝ちに行かず、ただ回ってくるというレースを繰り返してしまう若手ジョッキーの将来は決して明るくない。調整ルームの存在が(もちろんそれだけではないが)、ジョッキー間の上限関係を増長し、若手ジョッキーの成長を阻むだけではなく、レースそして競馬そのものをつまらなくしている可能性があるのである。

続いて、ルメール騎手に対する、安藤勝己騎手の技術論に話は及ぶ。

安藤勝己
「彼はバランスがいいのかな。馬に対してのあたりも違う。真似しようなんて思っていないけど、持って生まれたものが違うような気がします」
ルメール
「僕自身、それは分からないけど、いいコンタクトを馬に対して取っているとは思います。馬の気持ちを感じる力があるというか…手や体で感じる感覚的なことだから説明するのは難しいな」
安藤勝己
「僕も馬の気持ちは分かるような気がする。だけど、いい位置を取ろうとすると掛かったりする。それを外国人ジョッキーは自由に操れる。彼らの、日本人ジョッキーより優れているところだと思う。何かしら、違う部分を持っているような気がします」

安藤勝己騎手の言う“持って生まれたもの”とは、つまり練習とか訓練によっては乗り越えることの出来ない技術のことである。技術には目に見えて習得できるものとそうでないものとがあって、てっぺん(頂上)の世界では後者の有無が勝敗を隔てる。たとえば同じ馬に2人の異なるジョッキーが乗ったとして、ひとりが跨った時は全く動かず、もう一人が跨った時には別馬のように動く。客観的には同じように乗っていても、何かが違う。両者の間には、持って生まれた技術の違いが厳然と横たわっているのである。

その最たるものとして、「引っ掛からずに良い位置を取りに行けること」を安藤勝己騎手は挙げる。ジョッキーであれば誰しも、レースを有利に進められるポジションを取りたい。しかし、ほとんどのジョッキーはそれが出来ない。良い位置を取るために馬を無理に動かすと、馬に余計な気合が入ってしまい、抑えが利かなくなってしまう。たとえ良い位置は取れても、道中は馬とずっと喧嘩し通しで、直線に向いた時には既に手応えは残っていないという羽目に陥ってしまうのだ。もう少し具体的に言うと、「脚を使わせないように先行する技術」と「馬を抑える技術」がなければ、ただ前に行っただけで終わってしまうということである。

安藤勝己騎手自身も、2008年あたりから、それまで以上に馬をコントロールする乗り方をするようになった。日本のジョッキーによくある長手綱ではなく、ハミをガッチリと掛けながら馬を御す外国人ジョッキーのスタイルを目の当たりにして、刺激を受けたからだという。ドリームパスポートで引っ掛かって2着に破れてしまった阪神大賞典のような失敗はあっても、ダイワメジャーやダイワスカーレットなどをしっかりと御して、それ以上の大きな成功を導いた。進化を遂げた安藤勝己騎手でさえ、外国人ジョッキーは馬を自由に操れるという点において優れていると言う。

ルメール騎手がハーツクライで勝った有馬記念やリトルアマポーラで勝ったエリザベス女王杯は、まさにその典型的なレースである。これまでずっと追い込んでいた馬を先行させるのは、私たちの想像以上に難しい。スタートから馬を出して、いい位置を取りに行っているのだが、決して無理をして脚を使ってはいない。また、いつもとは違うリズムに戸惑う馬をガッチリと抑えて流れに乗せている。馬を御す技術、つまり「脚を使わせないように先行する技術」と「馬を抑える技術」があるからこそ、前に行っているにもかかわらず、いつもと同じだけの差し脚が残っているのである。

Photo by fakePlace

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