「さよなら」について
今の時期、だからこそ。
仰々しい別れが昔から嫌いである。
たとえば、送別会みたいな。
送別会は、「この先、この人とは二度と会わなくて済むようにする儀式」に思えてしまう。
どうしてそんなに残酷なことをしなければならないのか。そういう儀式は葬式だけで十分だ。死んだ人にはどう頑張っても会えない。それは受け入れるしかない。
特に、自分が送り出される側のときは最悪だ。自分の葬式をされているかのような気分。
ああ、ここにいる人達は、笑顔で自分のことを主役に祭り上げて、さあもう縁が切れたよバイバイってことをやりに来てるんだ。悲しい。悲しい。
そういう類の会は大方の場合、最後にグダる。別れを惜しんでぐだぐだ留まる。
「○○ちゃん、絶対また会おうね」
「うん、ずっと友だちだよ」
「〇〇さん、お世話になりました。」
あーーーーーーうるさい。
なんで、「じゃ、またね。」で済ませられねえんだ。何をどうしたって別れは避けられないし、重い言葉で別れたらその後の悲しみが深まるばかりじゃない。
「今日はありがとう、またね」
シンプルに、会ってくれたことへの感謝と、次への希望を伝えればいいと思うんだけどなあ。
プラス、目立つのが本当に嫌なので、自分のことをみんなが注目しているっていう事自体が悪夢でしかない。やめてくれ。ひっそり消えさせてくれ。見るな。
しっかり別れをしちゃったら、もう会わなくてもいいみたいじゃないですか。
もう二度と会わないかもしれないからこそ、また明日みたいな、軽いノリで。そしたら、また、会える気がする。
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