リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドンファン」 作品20

演奏者ページ University of Chicago Orchestra (orchestra)

Barbara Schubert (conductor)
公開者情報 Chicago: University of Chicago Orchestra
著作権 Creative Commons Attribution Non-commercial No Derivatives 3.0 [tag/del]
備考 Performed 3 June 2005, Mandel Hall. From archive.org.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『ドン・ファン』(独: "Don Juan", Tondichtung nach Nicolaus Lenau)作品20は、リヒャルト・シュトラウスが1888年に作曲した交響詩[1]。初期の管弦楽曲でシュトラウスの出世作とされる。理想の女性を追い求めて遍歴を重ねるスペインの伝説上の人物、ドン・ファンを主題としたニコラウス・レーナウの詩に基づいている。

実際に作曲されたのは交響詩『マクベス』作品23より後であるが、『マクベス』は改訂を経ているため、『ドン・ファン』の作品番号が先になった。現在でも、シュトラウスの交響詩のなかでは演奏の機会は多いほうに入る。

作曲の経緯
シュトラウスがミュンヘンの宮廷歌劇場の第3楽長を務めていた時期にあたる[2]1887年から1888年にかけて作曲された。

初演
1889年11月11日、ヴァイマルの宮廷オーケストラによって、作曲者自身の指揮で初演された。

日本初演は1927年11月22日、日本青年館にて近衛秀麿と新交響楽団によって行われた。

曲の構成
一種のロンド形式とソナタ形式で構成されている。ホ長調。

アレグロ・モルト・コン・ブリオ。冒頭、情熱的な弦の上昇音型で「悦楽の嵐」[3]のテーマが出る。すぐに木管の下降音型で理想の女性を表すテーマが出る(5小節目)。続けて弦と木管・ホルンでドン・ファンの行動力を表す第1のテーマが提示される(9小節目)。小休止の後、独奏ヴァイオリンの美しい旋律で最初の女性が提示され(D、2小節目)、木管が最初のランデヴーを表すが(D、19小節目)、音楽は次第に切迫感を高めていき、強烈な不協和音がドン・ファンの失望を表す(F、21小節目)。続いて、弦楽器で第2の女性が現れ、やがてオーボエの魅惑的な旋律[4]でランデヴーが展開される(L、4小節目)。ホルンの強奏による有名な[要出典]メロディーが出る(N、19小節目)。これはドン・ファンの第2のテーマ[4]で彼の不満を表すとされる[要出典]。これまでのドン・ファンのテーマや女性のテーマが交錯し、女性を追い求め、満たされぬドン・ファンの苦悩と焦燥が描かれる。いったん静かになるが(V、10小節目)、再び冒頭のドン・ファンのテーマと第2のテーマが回帰し、絢爛たるクライマックスを築く(W)。三たび冒頭のテーマが出るが、音楽は速度を増し、壮絶なカタストロフがやってくる。全休止の後(Cc、17小節目)、曲はホ短調に変わり、ドン・ファンの悲劇的な死が暗示される。「薪は燃えつくし、炉は冷たく暗くなった」のである。
(練習番号はアイプル社の総譜による)

交響詩『ドン・ファン』op.20は1888年に作曲されたR.シュトラウスの2作目の交響詩です。彼が24歳の時の出世作で、これを足がかりにさらに5作の交響詩を書き、やがてオペラの世界へと進むことになります。なお作品番号としては交響詩『マクベス』op.23より前なのですが、これはのちに彼が『マクベス』を改訂したためであり、作曲順としては『マクベス』が1番目、『ドン・ファン』が2番目となります。

この交響詩は19世紀前半の詩人ニコラウス・レーナウ(1802-1850)の叙事詩『ドン・ファン』を下敷きにしています。ただし彼はそのストーリーを忠実に再現したのではなく、その中から3つの場面を選んで総譜の冒頭に書き記した程度でした。彼はその悲劇的ストーリーではなく、詩の内にある情緒や感情を重要視したのでしょう。

その3つの部分の日本語訳を以下に記します。

いとも魅惑的に美しき女性的なるものの計り知れざる広大なる魔の国よ。

悦楽の嵐の中を過ぎ、最後の女性の口に接吻して死してもよし。

おお友よ、全ての土地を過ぎて飛び行かん。

美の咲くところでは、あらゆる人に跪き、瞬時なりとも勝利を得ん。

我は、飽満と恍惚より遠ざかり、新たなる中に美を得んとし、個々に傷つきつつ美を求めて彷徨う。

今日婦人の息吹に春の香りあれど、明日にはおそらく牢獄の雰囲気のごときものを我は感ぜん。

美しき婦人の広きつどいの中を次々と恋人と彷徨う時、わが恋は次々と変わる。

われは廃墟から寺院を建てんと欲せず。

然り、情熱は常に新しきものなり。

そは、一方から他方へ移るものにあらず。

ただここにて死滅し、他にて新たに生まれうるのみ。

実態を知りなば、悔恨はなにもなし。

世上の各美は一つ一つが唯一なれば、また適する美をそなえる恋人も唯一なり。

出でて絶えず新たに求め続けよ。

青春の燃ゆる鼓動が躍動する限り。

美しき嵐がわれを駆り立てたり。

今はそれは止みて、静けさが残る。

全ての希望と願望は死せるごとし。

おそらく天よりの閃光はわれを軽んじ、わが愛の力を死せるごとくにせしならん。

われにとりて世は突如荒涼とし暗闇となれり、おそらくまたさはあらざらん。

――薪は尽きたり、炉辺は寒く暗くなれり。


1つ目と2つ目の抜粋は、父親の伝言を携えた兄弟のドン・ディエゴに対するドン・ファンのセリフです。放蕩生活を改めて親元に帰るように諭す伝言を伝えたドン・ディエゴに対してドン・ファンは自身の人生哲学を1つ目の抜粋で、それに対する批判への反論を2つ目の抜粋で語ります。3つ目の抜粋は夕食のシーンより、陰鬱でふさぎこんでいるドン・ファンが彼の友人マルチェロに対して語った内容からです。彼はその会話の中で自身の不毛な人生を終わらせてくれる存在の出現を待ち望みます。なおレーナウの詩中ではその後に、ドン・ファンが殺した貴族の息子であるドン・ペドロが現れ、ドン・ファンは彼との決闘の中で自殺的な最期を遂げます。

初演は1889年11月11日、ワイマールの宮廷でR.シュトラウス自身の指揮で行われました。楽器構成はFl.3(picc.持ち替え), Ob.2, E.Hr.1, Cl.2, Fg.2, C.Fg.1, Hr.4, Tp.3, Tb.3, Tu.1, Timp.1, Tri.1, Cymb.1, Glo.1, Hp.1, 弦5部となっています。

ドン・ファン伝説
ドン・ファン伝説のストーリーは以下の通りです。

プレイボーイの貴族ドン・ファン(DonとはスペインでのMr.やSir.のようなもの)が貴族ドン・フェルナンドの娘を誘惑しますが、彼に見られてしまい、殺してしまいます。後日、墓場でドン・フェルナンドの石像の前を通りかかった時にドン・ファンはその石像を宴会へ招待します。彼は悪ふざけのつもりだったのですが、本当に宴会にドン・フェルナンドが幽霊として現れ、大混乱に陥ります。そしてその混乱の中、ドン・ファンはドン・フェルナンドによって地獄に引き込まれます。この伝説内ではドン・ファンは不道徳、非人道的で罰当たり、神も地獄をも恐れぬ無神論者な好色放蕩青年貴族ですが、最終的には神罰的な死を迎えるキャラクターとして描かれています。ちなみに、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』はこの伝説がそのまま描かれています。

一方でニコラウス・レーナウの叙事詩では、ストーリー進行は大まかには同じなのですが、まずそもそもドン・ファンは完璧主義的な側面があり、完璧な愛、そしてその実現をしてくれる完璧な女性を見つけるために女性を取り替え引き換えします。しかし、そんな女性は見つけられず、厭世観に囚われます。すると自身の父親を殺されたドン・ペドロが現れ、ドン・ファンに決闘を挑みます。ドン・ファンは剣の名手のため、あと一歩で勝利というところだったのですが、そこで自分の理想が叶えられない世界への絶望から剣を捨て、そのまま刺されて息絶えます。

こちらでは伝説のそれとは違いドン・ファンは理想主義的な完璧主義者で、最終的には自殺的な死を迎えるという大きな違いがあります。レーナウの描くドン・ファン像は彼自身の不完全さ、言うなれば人間的側面に目を向けたものと言えるでしょう。

早稲田大学交響楽団(ワセオケ)サイトより
https://wso-tokyo.jp/
https://twitter.com/wsotokyo
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