見出し画像

情報洪水時代の過ごし方

最初に

まもなく50歳になろうというのに、未だに少し前ばかりを向いている毎日ですが、たまには過去を振り返ってみます。


30年前


高校時代から目立ちたがり屋の私は、将来の職業を選ぶ基準が「世の中に影響力を与える人」でした。当時の私が思ったのは、『政治家』『久米宏さん』でした(職業じゃなくて個人名ですが…)。まぁ、それ以外にも知らない職業っていろいろあるんじゃないかと、勉強のためにアルバイトを含めてとにかくたくさん経験したのですが、最も刺さったのが『コピーライター』でした(当時は広告プランナーと私は呼んでた)。テレビCMに多くの人が感化され、影響され、流行になっていくさまを見ていて魅力的に感じました。


世間で知られることになった某CMのコピーも書かせていただきましたし、まぁいろんな世界を経験もさせていただきましたが(これはまた別の機会に…)、早々にマスメディアの世界を離れようと思いました。その理由の一つがインターネットの登場でした。(今では当たり前の話だけど)これはホントに大きなインパクトでした。


25年前


当時(今から約25年前)は、情報とはマスメディアから得るものでした。新聞やテレビが語ることが正、と言うか全てでした。ただ、そこには既に意思や意図が反映されたものということは業界に入って知っていました。情報が限られていることも知っていました。でも、インターネットの世界は違っていました。マスメディアというフィルターを通ってない、生の、全ての情報がそこにはあると。


溺れる


それから今に至るまでに、世界で圧倒的に変わったことは情報量でした。一気に桁違いの情報に触れることが可能になりました。それが、可能から日常になるまでに時間も掛かりませんでした。誰もが自動的に圧倒的な量の情報に触れるというか囲まれるようになりました。これを当時から情報洪水と読んでいます。最初は誰もが洪水に溺れていました。初めてのことですから当然です。溺れまくって何が正しいのか分からず、怪しいと批判する時期を経て、今や誰もが情報洪水の乗りこなし方を身に着け始めています。強制的な環境にアジャストするのは、意外と日本人が得意とするところだったりします。


届かない


話を元に戻すと、洪水のように情報量が溢れるようになり、これまでの手法だけでは、伝えたい人に情報が届かなくなってしまいました。これが世の中の大きな変化でした。テレビCMの時代じゃない、という言葉でも言われ始めました。


今、情報洪水が普通になり、何が起こっているのかというと、適切な方法で、適切なタイミングで、適切な表現で、適切なイメージで届く情報以外をスルーする術を誰もが身に着けました。素晴らしいし、恐ろしい時代です。たった25~30年の間に何万倍、何十万倍も情報量が増えて、洪水が洪水ではない、単なる日常になった今、情報を届けることが至難の業になっています。朝起きた瞬間からスマホという名のコンピューターから届けられる情報を、ずっと目にしている時代が来るなんて誰も想像しなかったわけで。


これだけ情報が溢れ、スルーする術を誰もが身に付けるようになってきていますが、受診者側としての大事なことと、発信者側としての大事なこと、大きく2つの大事なことがあります。


発信者側


マーケターと言われる人にとっては、仕事をする上でユーザー目線とプロの目線の両方を兼ね備えることは当たり前のことだと思うので、受信者側のことは別の機会に改めて、まずは発信者側での大事なことを。

大前提として、もう届けたくても届かないんです。これまでの手法と言えば、届くためには「大量に」が基本でした。テレビCMをどれだけ回しても、WEBで出しまくっても、『洪水』ですから、ビックリするほどシレっとスルーされてしまいます。仮に、想像を絶するような大量投下をしたところで、(届くには届きますが)違った形(例:ネガティブな印象で)で届いてしまうことになるでしょう(例:自民党のCM)。

そこで次に出てくるのが、人の力を借りて届ける方法です。インフルエンサーに「言わせる」方法もあれば、SNSで友達がシェアしてくれる方法まで、こちらも既に様々な方法があります。



有名なイラストですが、届けるためには、その届け方から、それも安易な方法ではなく、しっかり考える必要が出てきてしまった時代です。お金の力にモノを言わせて、一方的に大量に情報を発信することで強制的に「届け」てしまうのは昭和で完全に終わりました。今、その手法を実施している企業なり人は、ホントに危ういですね。。


コミュニケーション


情報を届けるにあたって、そこにコミュニケーションが存在するかどうかが、一周回って大事なことになってきました。SNS然り、オフラインイベント然り、テクノロジーの進化で消えてしまうかと思われたコミュニケーションこそが情報伝達のキーになりました。何らかのコミュニケーションがあって初めて、そこで行き交う情報に価値が生まれる、という感じでしょうか。

コミュニケーションが下手な現代人と言われることもあるようですが、50年も生きてると(笑)、コミュニケーションの取り方は進化と退化を繰り返して、結局のところはあんまり変わってないように思います。やっぱり、大事なことだと。

とか言ってるうちに、面白い事象が現実に起こったので、次にそこを掘ってみたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?