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『稲盛和夫一日一言』2/2(木)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/2(木)は、「動機善なりや、私心なかりしか ②」です。

ポイント:何か新しいことを始めようとするときは、必ず「動機善なりや、私心なかりしか」と自問自答すること。そして、一切の私心がないことを確認して踏み出していく。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、第二電電(現KDDI)創業当時のころを振り返って、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 電気通信事業の自由化が発表された当時、私は日本の通信料金が高すぎて多くの国民が苦しんでいることに憤りを感じていました。しかし、巨大な電電公社を向こうにまわして戦いを挑むことに対して、リスクが大き過ぎるからか、手をあげる企業、コンソーシアムはありせんでした。たまりかねた私は、ついに自ら手をあげたのです。

 専門家やスタッフ候補のメンバーに集まってもらってどのように新規参入していくべきか、その方法を議論するなかで、私は次のような話をしました。
 「これは百年に一度あるかないかという大転換期であり、今の我々ならその大変革の舞台回しをすることができるかもしれない。それだけの知恵と能力を持って参画できるチャンスに遭遇しているならば、この機会を逃すことなく、挑戦してみようではありませんか」

 しかし私は、それだけではまだ実際の創業に踏み切ることができませんでした。これだけの大事業を始めるには、もっと自分を駆り立てる何かが必要なはずだと考えを巡らせ、そうするなかで浮かんできたのが「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉でした。
 それから後約六ヵ月もの間、毎晩毎晩、どんなに遅く帰っても、たとえお酒を飲んでいようとも、必ずベッドに入る前に「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に問い続けました。

 巨大企業を向こうに回して戦いを挑んでいく勇気を奮い起こすためにも、「自分が今からやろうとしていることは、日本国民のためになる立派な行為なのだ」という大義名分が欲しかった。そのために、「決して名誉欲や事業欲に駆られて事業を起こすのではない。そこには私心など微塵(みじん)も存在しないのだ」と確信するまで、私はこの「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉を繰り返し自らに問うていきました。(要約)

 名誉会長は約半年もの間、それを繰り返したと言われていますが、残念ながら、私にはそこまで自問自答を繰り返した経験はありません。
 しかし京セラという会社で、特にリーダーという立場で仕事をするようになってからは、「私心なかりしか」という問いかけは心の中でしょっちゅう繰り返していました。
 「その判断、決定に後ろめたさはないか?」「誰のために、何のために、その判断を下そうとしているのか?」「単なる自己満足や自部門の利益を優先するあまり部分最適に陥ってはいないか?」等々、迷ったことは数知れずありました。

 「常に自問自答することで、自分の動機の善悪を確認する」
 習い性となるまで続けていかなければならない大事な考え方ではないでしょうか。


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