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『稲盛和夫一日一言』2/6(月)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/6(月)は、「修行」です。

ポイント:与えられた仕事に、愚直に、真面目に、地道に、誠実に取り組み続けることで、自然と欲望を抑えることができる。さらに、夢中になって仕事に打ち込むことで、怒りを静め、愚痴を慎むこともできるようになる。「働くことは修行」

 2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)の中で、働くことの意義について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人が易きにつき、奢(おご)り高ぶるようになってしまいがちなのは、人間が煩悩(ぼんのう)に満ちた生き物だからです。そのような人間が心を高めていこうとするときに大切なのが、悪(あ)しき心を抑えることです。

 人間の煩悩は百八つもあると言われています。中でも「欲望」「怒り」「愚痴」の三つは、卑しい心、つまり人間を苦しめる煩悩の最たるもので、心にからみついて離れず、取り払おうとしてもなかなか拭(ぬぐ)い去ることはできません。お釈迦様は、この三つを「三毒」と呼ばれ、人間を誤った行動に導く諸悪の根源だとされています。

 「人よりも多くの金銭を手に入れたい」「人よりも高く評価されたい」、このような「欲望」は誰の心にも潜んでいて、それがかなわないとなると、人は「怒り」を覚え、「なぜ思った通りにならないのか」と「愚痴」や「不平不満」をこぼすようになる。人間とは、常にこの三毒に振り回されている因果な生き物であり、しかもそれは生きていくうえで必要な本能として与えられたものであるだけに、まったくゼロにすることもできません。

 そうした三毒が過剰になるのを抑えるためには、まずはその毒素を薄めるようにしなければなりません。そのための唯一無二の方法が、一生懸命に働くということです。
 その意味で、働くことは修行に似ています。実際に、お釈迦様が悟りに至る修行として定めた「六波羅蜜(ろくはらみつ)という六つの修行がありますが、その一つである「精進」とは、まさに懸命に働くことなのです。


 ひたむきに自分の仕事に打ち込み、精魂込めて、倦(う)まずたゆまず努力を重ねていくこと。それがそのまま人格錬磨のための「修行」となって、私たちの心を磨き、人間を成長させてくれるのです。(要約)

 伊藤謙介京セラ元会長から伺った、京都の比叡山で行われる千日回峰行という荒行を生涯で二度達成された天台宗僧侶の酒井雄哉(さかいゆうさい)さんという方のお話を紹介します。

 千日回峰行という修行は、7年かけて険しい山中を歩き回るという、大変な荒行の一つです。まずは、一日に数十キロも山中を歩き続ける、計七百日の回峰を5年がかりで行います。それを終えた時点で、今度はお堂に籠り、不眠不臥で断食、断水をする、お堂入りという行が行われます。
 そこからさらに2年の回峰を続け、計千日で満行となるのですが、途中で行を続けられなくなれば、身に携えている短刀で自害しなければならないという決まりのある、大変厳しい修行です。

 その方が、一日の回峰を始めるにあたって、毎朝お堂にお参りするときが「生」、回峰を終えて再びお堂に戻ってきたときが「死」であるという話をされた。
 それは、まさに生死をかけた千日回峰行を通して、朝目覚めてから歩き始め、何とか歩き通して戻ってきて夜は死んだように眠る、そのような一日を過ごすことが人生そのものなのではないか。つまり、毎日が生と死そのものであり、だからこそ一日一日を充実した気持ちで精いっぱい生きるしかないということを悟られたわけです。

 私たちはとてもそのような厳しい修行をすることはできませんが、せめて毎朝目覚めたら、その日一日を精いっぱい働いて、心地よい疲れと充実感を感じながら床に就く。
 今日一日、今この一瞬を充実したものにするために、一生懸命に生きる。「働くことも、また生きることも修行」


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