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『稲盛和夫一日一言』 11月5日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月5日(日)は、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」です。

ポイント:「六波羅蜜」とは、お釈迦様が説かれた悟りを開くための修行方法。

 2103年、致知出版社主催の特別講演において、「六つの修行」と題して、稲盛名誉会長は、自らの運命を好転させ、経営への道を切り拓いたものとして「六波羅蜜」をあげて次のように述べられています。

 人生には確かに運命というものが存在します。その運命を自分で知ることはできませんが、自分が辿っていく人生というものは生まれた時から決められているものだと思います。私の前半生がそうであったように、挫折続きで、過酷な人生が運命で決められていることもあるかもしれません。

 しかし、そのような人生の節々で、善きことを思い、善きことを実行していけば、運命はよい方向へと変わっていくのです。逆に人生の節々で悪しきことを思い、悪しきことを実行すれば、運命は悪い方向へと曲がっていくのだろうと思います。

 では、いかに善きことに努めるか。
 私はお釈迦様が説かれている「六波羅蜜」という六つの修行がまさにそのための方法ではないかと考えております。つまりお釈迦様が魂を磨き、心を高め、悟りの境地に到達するための修行として説いておられることが、まさしく私が申し上げた善きことに努めるということと同じことではないかと思っています。


 六波羅蜜の一番目は「布施(ふせ)」です。自分がいまあることに感謝をし、他に善かれかしと願い、人様のために何かをして差し上げる、「施しをする」ことです。その思いやりの心、優しい心を持って「世のため、人のために尽くす」ということが「布施」の意味です。

 二番目は「持戒(じかい)」です。「戒律を守る」ということです。人間として、してはならないことを定めた戒めをひたすらに守っていくということです。言い換えれば、「人間として何が正しいのか」を問い、その正しいことを貫き、してはならないことはしないということです。

 三番目は「精進(しょうじん)」です。人は生きていくためには働かなければなりません。「働く」ということは厳然たる人生の鉄則であり、お釈迦様は、「ただ一所懸命に誰にも負けない努力で働きなさい」とおっしゃっています。

 四番目は「忍辱(にんにく)」です。「恥を忍びなさい」ということ、「苦しいことや辛いことも耐え忍びなさい」ということです。人生は波瀾万丈であり、いまは幸せに思えても、いつ何どき苦難が押し寄せてくるか分かりません。その厳しい試練を耐え忍んでいくことが大切だということを教えていただいているのです。

 五番目は「禅定(ぜんじょう)」です。「心を静かにする」ことです。荒々しい心のままでは心を高めることはできません。「多忙な毎日を送る中でも心を静めることに努めなさい」とお釈迦様は説いておられます。

 六番目は「智慧(ちえ)」です。ここまでの五つの修行に日々懸命に努めていくことで「悟り」の境地、つまり偉大な仏の智慧に至ることができると言われております。

 私は25~26歳の時に過去を振り返り、素晴らしい出会いがなければいまの自分はなかったことに気づき、感謝の念が芽生えてまいりました。そしてその時から、世のため、人のために尽くすために誰にも負けない努力を払い、人間として正しいことを貫き、試練に耐え抜き、時に心静かに反省を繰り返してまいりました。
 そのような生き方が奇しくもお釈迦様が説かれた六波羅蜜の修行に通じていたわけです。だからこそ苦難続きであった私の人生の歯車が逆回転を始め、大きく開けていったのだと思います。
(要約)

 「六波羅蜜」とは、「大乗仏教における六種の修行のことで、菩薩(ぼさつ)が涅槃(ねはん)に至るための六つの徳目」とされています。

 ちなみに「菩薩」とは、「最高の悟りを開いて、仏になろうと発心して、修行に励む人」、「涅槃」とは、「あらゆる煩悩(ぼんのう)が消滅し、苦しみを離れた安らぎの境地、究極の悟りの世界」を意味する言葉です。

 今日の一言では、「私は会社をつくったときから、何も知らないままこのような思いを心に抱き、実践に努めてきました」とあります。

 残り少ないであろう自分の人生において、「人様を助ける」「戒律を守る」「一生懸命に働く」「何があっても耐え忍ぶ」「心を静かに保ち、日々反省を繰り返す」といった行為を積み重ねていくことで、多少なりとも「苦しみを離れた安らぎの境地」に近づくことができればと願っています。


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