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『稲盛和夫一日一言』 2月17日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月17日(土)は、「創造者の責務」です。

ポイント:「もう、これ以上のものはない」と確信できるものが完成するまで、努力を惜しまない。それは、創造という高い山の頂上をめざす人間にとっての義務ですらある。

 1996年発刊の『成功への情熱 ーPASSIONー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、「真の創造」ということについて、名誉会長は次のように述べられています。

 「発明発見のプロセスは哲学の領域であり、それが論理的に証明されたときに科学になる」

 科学の世界ですでに解明された常識と「真の創造」との間には大きなギャップがあり、このギャップの架け橋となる精神的活動が発明発見といわれるものです。つまり、科学的常識をいくら積み上げても、真の創造には至らないということです。

 常識や、盲目的に受け入れられている科学的常識をあえて否定してこそ、初めて真の創造に至ることができるのです。(要約)

 今日の一言では、創造的な領域に挑戦する際は、信念を持って「これだ」といえるところまで努力を惜しまないことが大事であると説かれています。

 2015年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第1巻 技術開発に賭ける』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、研究開発を行う者に求められる人間性について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 大胆で不遜なタイプの人が研究すると、できたものは、やはり大胆そのものの研究結果になります。また、小心で怖がりタイプの人が研究すると、なかなか結論が出ず、怖がりの心が現れた歪(いびつ)な結果になってしまいます。

 研究開発をする場合、先人による詳細なデータがなくても、ちょっとしたヒントだけでもあると、その成否は大きく変わってきます。それはうわさのレベルでもいいのです。それを聞いただけで、その専門分野を勉強している人には、具体的にこのような方法でやったのだろう、とすぐにひらめきます。

 しかしそうでない場合、研究する「人間」そのものの勝負になってきます。誰もやっていない研究開発では、自分がやってもできないのだから、世界の誰がやってもできないのではないか、という間違った判断をしてしまいます。
 自分の判断の基準、やり方がおかしくてできていないのに、「誰がやってもできないことを、自分はやっているのではなかろうか」という迷いが出てくるのです。

 しかしその程度では、今後の研究開発は難しいと思います。今までの日本の研究者は、それさえできれば一流だったのかもしれません。後を追いかけられるタイプでも、十分会社に貢献することができてきたからです。

 誰もやったことのないテーマの研究開発は、闇夜の中を手探りで歩くようなものです。何の基準となるものはなく、本当に信じられるのは自分しかありません。指先の触覚、目、耳など、自分の五感を頼りにして、その道を歩いていくのです。
 五感から現象をどのくらい正確に見られるかが、結果を左右する鍵となります。ある現象を見た場合、それで本当に「見た」と言えるのか、また逆に、見落としたものは本当になかったのかどうかで結果が決まるのです。

 研究に対して、全身全霊で打ち込むと同時に、常に虚心に反省でき、さらに勇気をもって進められるという、バランスのとれた人間性を備えた人でなければ、誰もやったことのないテーマの研究開発はできない、と私は思っています。

 そういう点で、創造的で独創的な新しい技術をつくるための研究者、または研究グループのリーダーに求められる人間像について、今一度模索してみる必要があるのではないでしょうか。(要約)

 「成功するまで諦めない」
 目標達成に向けて、最後の最後まで粘って粘って諦めずにやり抜く、それが創造者の責務であり、そうした姿勢なしに、創造的な仕事は成就しないということではないでしょうか。


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