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『稲盛和夫一日一言』 2月26日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月26日(月)は、「利益を誇りに思う」です。

ポイント:利益を追求することは、決して恥ずべきことではない。むしろ、経営者と従業員が額に汗して勝ち取った利益なら、誇りに思うべきもの。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「公明正大に利益を追求する」の項で、正しく利益を追求していくことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 会社は利益を上げなければ成り立ちません。ですから、利益をあげることは、恥ずべきことでもなければ、人の道に反したことでもありません。

 自由市場において、競争の結果として決まる価格は正しい価格であり、その価格で堂々と商いをして得られる利益は正しい利益です。厳しい価格競争のなかで合理化を進め、付加価値を高めていく努力が利益の増加を生むのです。

 お客様の求めに応じて営々と努力を積み上げることもせず、投機や不正で暴利を貪(むさぼ)り、一攫千金(いっかくせんきん)を夢見るような経営がまかり通る世の中ですが、公明正大に事業を行い、正しい利益を追求し、社会に貢献していくのが京セラの経営です。

 かつての京都には、「経営者とは労働者から搾取して利益を貪るえげつない人種だ」というイメージが強くありました。
 そのような猜疑心(さいぎしん)を抱く社員に、会社とはそういうものではないと分かってもらいたい。しかし、私がいくらそう説明しても、なかなか信じてくれない従業員もいました。

 この「公明正大に利益を追求する」というフィロソフィ項目は、そんな状況のなかで言い始めたものです。
 特に中小零細企業の場合には、厳しい競争をくぐり抜けていかなければならず、値段はそうした日々の競争のなかで決まっていきます。他社との競争によって値段が決まるわけですから、そんなに大幅に利益を乗せられるわけがありません。必ず、適正な利益しか得られないようになっているのです。

 そうした適正な利益をコツコツと積み上げていった結果が、企業の利益になるのです。言い換えれば、努力をして積み上げた利益は、正々堂々と手にすることのできる公明正大なものなのです。

 経営者たる者、バブルに躍り、一攫千金を夢見たり、また不動産を転がしたり、あるいは不正なことをして儲けようなどとしてはなりません。
 「大抵の会社ではこうだから」といった常識にとらわれることなく、「人間として何が正しいのか」ということを基準に判断していかなければならないのです。
(要約)

 また、1996年発刊の『成功への情熱 ーPASSIONー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)「公明正大に利益を追求する」の項で、名誉会長は次のように述べられています。

 経営者は、企業と従業員のために利益を追求しなくてはなりません。
 利益を追求することは決して恥ずべきことではありません。自由競争の原理が働いているマーケットにおいて、堂々と商いを行って得た利益は正当なものです。

 生産をできるだけ合理化し、少しでも付加価値の高い製品を、お客様が喜んで買ってくださる最高の価格でお届けする。その結果得られた利益は、経営者と従業員が額に汗して勝ち取った利益ですから、誇りに思うべきものです。

 しかし、決して利益追求の奴隷になってはなりません。むやみに利益を求めようとする誘惑に屈服してはならないのです。
 私たちは正しい方法で利益を得なければなりません。お客様の望まれる質の高い製品を供給するために一生懸命に働いて、公明正大に利益を得るのです。

 自由競争の原理が働いているマーケットにおいて得られた利益は、社会の発展に奉仕した者に与えられる正当な報酬なのです。(要約)

 本来、「公明」には「不正がなく公平であること」、また「正大」には、「正しくて大きい」「言動や態度が正しく堂々としている」といった意味がありますが、それらが合わさって「公明正大」という言葉が生まれ、「私心をはさまず平等であるさま」「良心に恥じることなく正しいさま」という意味として使われるようになったようです。

 この言葉は、利益追求に関わることだけでなく、日々の生活においても大切にされるべき心構えのひとつではないでしょうか。


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