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臨死体験ワークショップから考える、私なりの生きるってこと

先日、目白にある小苦樂(こくら)さんにて、「臨死体験ワークショップ」を受けてきました。

この体験の感想をつらつらと。

私は現在、WaLaの哲学というアカデミア講座を受講しているのですが、そのカリキュラムの一環として体験してきました。
(WaLaの哲学についてもまた別途書くつもり)

臨死体験というと、さぞ怪しい感じをうけますが、
死を実感できるだけで怖い経験は一切ないのでご安心を。笑

ネタバレになるので内容については詳しく言及できませんが、
コンテンツとして見事に自分のリアルな死と向き合うことができます。

生と真逆にある「死」を体感することで、生がより輝く感覚。

実際に一緒に参加なさっていた方達からは

「いかに小さなことにこだわっていたか分かった」

「今を大切にしようと思った」

「スッキリした」

といった清々しい感想が出ていました。

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一方で、1人絶望してたわたし。


私の経験は少し違っていた。

やけに冷静で、死にまるで入りこめなかったのだ。

普段は涙もろくて、ドラマを見ても秒で泣くのにこんなにも感情移入できないことがあるんだ?とビックリ。

その入り込めなかったモヤモヤを言語化せずに泳がせておいたら、
日を追うごとに形を表してきた。

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それは、死への憧憬。

私は気づくと、死のことばかり考えている。

「死にたい」といつも思うわけではないけど、
「死んだら終わりじゃん」的な虚無感が強く、
今ここで全く苦しまないで死ねる薬があったら正直迷うなと思う。


死への憧れは父の自殺と関係がないとはいえないだろう。

父は急にある日いなくなり、

生活から忽然と姿を消した



世の中のくそみそめんどくさいことすべて捨てて、消えた。

いくら泣こうが、祈ろうが、恨もうが、愛そうがそこには存在がなかった

ぶつける相手は何もない、ただの空

死んで父は楽になったのか?その確認もできない

存在がないことって何なんだよ?

「お父さんはまだ側にいるのよ」と言う人もいるかもしれないけれど、そんなのは私にとっては詭弁で、私という個人的な生活からは確実に消えた。

その虚しさはすべて「存在がない」、その一点に還元された


そんな”死の魔力”みたいなものに
小さい頃から取り憑かれていたのかもしれない。

私もなーんもない世界にいきたいな。
いっつもそう思ってたんだなぁ。

日常的に想像する死の方がリアルで苦しくて、甘美だったから
私は疑似体験の死をリアルを感じられなかったのだ。

同時にそこまで潜在的に死に憧れていることを目の当たりにして
怖くもなった。
やる気もなくなった。

でもこの欲求も私の生きてきた過程でなぜだか発生したものだし、
しょうがないなとも思った。
この欲望も受け止めないとなと腹をくくった。

死へ向かう質の変化

以前書いた記事あたりから「死にたい」と思うことはなくなったと思っていたんだけど、それは違ったんだなと欲望を受け止めてわかった。

でもその質が変わってた。

「死」には2種類あると思う。

肉体の死と精神の死。

以前は、自分の価値がないから存在が消えて欲しい。
肉体を消したい。という思いが強かった。

でも肉体を消すのが圧倒的にこわいから
その思いと戦って、自分を殴ったりして、
私なりの最低限の制裁を物理的に加えていたのだと思う。

でも今は、精神が死にたいと言っている。

精神の死は暴れるような衝動性は感じられない。

けれど新しく生まれ変わりたいという質の衝動があり、
これはこれでしんどいなと思いつつ、手なづけてる感じ。

じわじわくる。

ぼでぃぶろぉ。

そして以前と圧倒的な違いは、
実は死にたいのは「生きたい」の裏返しだと分かっていること。

死にたいを感じると同時に圧倒的な生命力も感じるのだ。

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死ぬ時にはお金も肩書きも持ち物も、
人間関係も自分にまつわるものすべてが無に帰す。

その状態を"死"と呼ぶならば

生命とは

ここに私がいるという「身体的な感覚」そのもの

私にとっての「生きる」はただそこにある生命を愛でること

(そしてその愛でる行為は自分だけに向けるのではなく、他者にも向けられるものであってほしい。)

些細なことで自責しまくった私が、
生命レベルで自分を愛でるのはものすごくレベルが高い

たかすぎるぞぃ、、、!

ふと気づくとやはり自責してる

けれど本当はもっと単純なもので、

お腹がすいたり、殺人のニュースきいたら心がドしんどくなったり、性欲があったり、傷が自然と治っていったり、そうゆう身体に基づく本能的なものを観察し、感じるだけで良いのかもしれない。

身体はずっと生きたがってるんだって、それだけで生命を感じる。

生命を感じると「あ、なんとか生きているって感じたい意識と
もう意識しなくても、ただただそこに息づく生命活動があるんだな」って気づける。

その懐の深さは、私というちっぽけな存在を凌駕する
その感覚を拡げていけば、すべてのものから生命を感じられるよね

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まずは生命を愛でられる存在へ。

向かっていきたいなと思います。

小さい頃から自分を殺傷しがちだったので、
今、必死に育成中。。。笑



info:
小苦樂は古民家を改装した風情が感じられるスポット。
ワークショップ以外にも日本伝統文化のお教室・甘味屋さんも営まれていて、夜はお食事も出来ます。
そしてなにより女将さんがほんっとうに素敵な方でした、、、!

ワークショップ自体は一般の方でも参加できますので気になった方はこちらより。
※時期によりワークショップのが開催されていない可能性があります


サポート頂いたら嬉しくてエクストリーム土下座します!!