こども大綱
僕は少々変わった家庭で育った。
父親の年収は1000万を超えていて、僕はそのお金であちこち習い事に通うことになり、学校の宿題と習い事の課題に忙殺される日々。
子どもとはあまり関わりたくないので、あらゆる習い事を高額な託児所として利用していたのだが、ならなぜ子どもを設けたのだろう。
いや、分かっている。「子どもがいる」というステータスが必要なんだ。
子どもは必要だが、育てるのは嫌い。
その犠牲に、課題に苦しむ僕と、つまらなそうな僕を相手にしなければならない習い事の先生が巻き込まれた。
夜は早く寝ないといけない、と言うより、親は寝ている子どもにまでは暴力を振らないので、寝てしまえば身の安全が確保される。
1日、掛ける年間を通して親との会話が圧倒的に足りない。
僕は僕が将来どうしたいかなんて一度も聞かれたことがない。
それどころか、明日学校で何をしたいか、週末どこへ行きたいか、何が好きか等細部に至るまで聞かれたことがない。
自発的に「これをしたい」と言ってみれば、「やめろ」と返されるだけのコミュニケーションなんて、コミュニケーションとは呼べない。
親子って何なんだろう、と考えることがある。
僕だったら、将来自分の自由が利かなくなった時にあれこれ頼みたいので、早いうちから子どもには貸しを作っておこうと思っている。
助けてもらうために、先に手厚く接する。先行投資だ。
それが僕の両親は、先に要求、後にも要求。
子どもとは一方的な主従関係が一生続くと思っているのだろう。
ファンタジーみたいで面白くも感じる。
お前を育てるのにいくらかかったと思ってるんだ、と言われれば、「産まなきゃお金かかりませんよ」と返して暴力が飛んでくる。
そんな家庭環境、満足度はゼロ以下だ。
こども家庭庁は、これから子どもや若者の生活への満足度、将来への希望の高さを数値化していくそうだ。
具体的な目標値は書かれていないが、ずっと僕や僕と似たような子どもが放置されていた部分に目を向け始めた大人がいる、それだけでも希望が見えてくると僕は思う。
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