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別大マラソン2024

12:00 くもり8℃ 風速1m
最高のコンディションでレースがスタート。
0-5km 18'10
スタートロスは5秒だけ。毎年毎年スピード楽に出せるのをいいことに暴走しちゃうので今日はとにかく抑えることだけ考えてレースに入った。落ち着いて集団の1番沿道側をキープ。4キロで母親の声援を受けJog感覚で理想通り5kmを通過。
5-10km 18'12
続く10kmまでも勢いがついてペースupしそうな特に下り気味のとこは意識して少し落とすくらいで抑える。依然jog感覚で10kmを通過。
10-15km 18'14
10km超えたところで折り返し少し登ったこともあり、この区間は気持ちペース落ちるがそれは想定内。集団の後方に位置取り依然めちゃくちゃ楽で心地良いjog感覚をキープ。25kmまでこの感覚で行きたいなぁと思ってたが上りの影響かやや集団が少しばらけたのもあり、集団の最前線へと出る形に。。その状態で2kmほど行ったところで、後ろを走ってた55歳No.1ランナーから、「ペース意図的に落としてる?それはやめて欲しい的なことを言われる(この部分は自分でもハッキリ聞き取れず)」
南極「いえ、3'37くらい維持してるつもりなんですが」
55歳No.1「いや結構落ちてたで〜」と言われ自分は上りがあったからですかねぇみたいに言ってるとさらに後ろのランナーが「いや、そんなに、変わってなくていいペースメイクですよ」みたいなフォローを受ける。正直いうと集団引っ張るなんて1mmも考えてなかった。たまたま前出ただけでいずれ後方のいいポジションで楽しようと思ってたんで。笑
ただフォロー入った後55歳No.1から「そうか〜じゃあ信じてついていくで、もうすぐ56歳になるんやけどこの年齢のおじさんに負けるなよ!的なことを言われる」笑。
ちなみにその方は去年の防府で2時間35分切っており、完全に格上の方です。笑
内心「いや待って💦練習でもペース感覚0で練習もやっと月間150km超えたくらいの俺なんか信用してたらこの集団全滅するよ?笑、むしろこの集団で1番弱い俺をペースメイクさせてくれよとか思いつつもいいペースメイクなんて言われたら、引っ張るしかないやんとなる」これが13kmだったのでここでJogとは突然のお別れに。。(レースは想定通りにはいかないもの。だからおもしろいんですが)
ただ15kmまではまだまだ余裕たっぷりで通過。
15-20km 18'06
突然2時間35分本気で切ろうとしてる集団のペースメーカーすることになってめちゃくちゃ責任感じながら走った。給水では少しスピード上げて取りやすくするなど。フォームは凄く意識して取り組んできたのでその点に関しては付きやすかったとは思った。 17kmでは再び母親の声援を受けたがまだ手を振る余裕はあったものの徐々にJog感覚は無くなり力そこそこ出してるけどまだ切り替えるギアはあるという感覚で20kmを通過。
20-25km 18'10
7km近く引っ張ってきたがハーフを通過する前の給水で自分が取った後外側の人が取りやすいように少し外に出たときにスピード上げたら集団が離れることに。スピード3'37のままで振り返ったけど誰もついて来なかったのでここは仕方ないと集団とお別れして、21km-24kmくらいは少しずつキツくなってるランナーを抜いていく感じでの単独走。少し脚にダメージが来てたけど持ってた2Runが上手く取れず。さらにハーフで飲もうとしてたjelが上手くポケットから取れず30kmで取ろうとしてたモルテンを先に食べる羽目に。後ろ振り返ったら自分が引っ張ってた集団が3-5秒まで迫って来てたけど一旦離れた集団に追いつかれたくはないと思っていたもの束の間25km前で追いつかれる。
25-30km 18'28
追いつかれはしたものの正直体力的にはまだまだ全然元気ですぐに置いてかれるって感じではなかったし、55歳No.1さんからも「ここから粘るよ!」って声かけてもらえてより一層マラソンはこっからやと気合いが入った。それと同時に少し休みたいです。と伝えて1kmほど1列後ろで楽をするもののすぐまた自分が引っ張る羽目に。笑 流石にここは誰か引っ張ってくれよと思いながら周りを見渡すが誰も引っ張ってくれなかった。涙 仕方なくまた大分市に入っても引っ張る。28km過ぎではまさかの妹も応援に来ててやや驚きもあったがうれしかった。まだ応援に応えるだけの余裕はあったがそれもそんなに長くは続かず29km過ぎの橋の手前でやや集団から遅れを取り始める。とはいうものの集団のおかげもあり、いつも失速始まるこの25-30km区間をAve.3'41はかなり自分でも評価したい。
30-35km 20'01 
橋を超えていよいよ1番の試練のラウンドワンからの道。ハムストリングが攣りそうな感覚がしっかり来て3'40台のスピードが出せなくなり3'50-55まで落ち出す。とにかく耐えどころというのは分かってたけどハムストリングはどんどん攣る方向へ向かい、33kmくらいで攣るのに耐えながら走るのを諦めて一旦止まり屈伸して回復を祈る。毎回このあとは4'30が精一杯なのでサブ40は切って当たり前と思っていた今回ですら無理なのかと絶望も頭をよぎったが、練習でロングを多くしてた成果なのか4分前後で走っても攣りを耐えながら前へ進むことができた。なんとか1番きつい折り返しまで行った。この区間で20分代突入は残念だがなんとか耐えてると言った印象。いつもはゴールタイムから今の体力や脚の状態から逆算する算数の時間だがまだこの日はとにかく1分でも好タイムをと前に進むことだけ必死に考え腕を振る。35km手前で55歳No.1さんがまさかのリタイアしててショックだけどここでも励ましてくれたのは凄く勇気づけられた。この方の声掛けでPMすることになったけど結果的には自分の力になったことは間違いない。
35-40km 20'36
とにかくここでは1キロ4分付近を意識して1キロ1キロゴールに近づくことだけ考えた。1キロ1キロタイムを確認しながら4分10かけないようにと思って必死に腕を振る前へ進む。その繰り返し。磨いてきたフォームはこの時にはもうぐちゃぐちゃだったけど過去の自分を一蹴する(36.37分くらい出す)と決めて挑んだこのレースで40分切れないのは絶対に許されないと思いお構いなしに前に進むことだけにがむしゃらだった。
40-42.195km 9'07
40kmを2時間30分以内で通過し、残りをキロ4'30でサブ40ならいける!と思ったがいつまたハムストリングが攣るか分からないので油断はできなかったし、無駄にスピードを上げることもできず板挟みの状態で、必死に前へ前へ。40km過ぎで再度妹からの声援を受けたがこの時は軽く手上げて反応するだけ。きつい状態だった。そして41kmを2時間34分で通過し残り1kmの看板を見た時に35分になってなかった時の心への余裕は凄かった。ただ最後の最後まで何があるかわからないと油断はせずに競技場へ。競技場を目前にして最後ぶっ飛ばしたかったけど攣るリスクを考え無難にキロ4'10で安全に。競技場に入って表示されるタイマーが2時間30分代なのを見るのは初めてだったので本当にうれしかった。ゴール前ガッツポーズするか悩んだけどこれで満足ってわけではないので心の中で軽く拳を握るくらいで控えめにゴール。


満足ではないが最低限のサブ40。そして大学生の時以来7年ぶりの自己ベスト。タイムよりも大会にたくさん出ることを優先しまくってはきたけどさすがに7年は長かった…ただ自分への期待もこんなものではないし、今年はここからが本当の勝負なので涙などはなし。
余談
ゴール後は大分駅に向かい家族と合流。
ここで初めて妹の旦那さんと初対面した。
とりあえず「妹がお世話になっております」とそれっぽいこと言ってみた笑
あんま時間もなかったのでたわいもない話を少しして解散し、自分は母と祖父母の家の近くの温泉へ。
7年ぶりに止まってた時計を動かすことができた後の温泉は別格でした。何時間でも温泉に浸かっていたかった。その後1年ぶりに祖父母の家へ向かい祖母が用意してくれてた贅沢な夜ご飯を食べて別大2024は終了。
レースで浮き彫りになった課題としては、やはりハムストリングが攣ったのはまだまだ練習距離が足りてないと思うので3月末の本命レースの福井に向けてはしっかり20km以上のJogを積み重ねていきたい。


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