晴れた日のこと

ある秋の話をします。
私はとあるひとに会いました。その人は髪が長くてくるくると巻いていました。最初に会った時は笑顔ひとつ見せず、ぼんやりとどこかを見つめていました。私がよく笑うのを見つめていました。私はそれがちょっと嫌な気持ちだったのかな、と不安になりました。いつ会ってもくるくるにしているので、身なりをちゃんとしている人なんだなあと思っていました。マクドナルドでポテトを頼むとダイソーに売ってるでかいウエットティッシュを取り出して一枚くれました。それがなぜか嬉しかったのを覚えています。

その人は猫みたいな目をしています。わたしが話をしている時じっと見つめてくるのが最初は怖かったです。目を伏せた時にまつ毛が長くて羨ましいなあと思っていました。

初めて電話をした時、その人が文鳥を飼っていることを知りました。文鳥を飼うためにわざわざペット可のお家にしたようです。とりはわたしの生活リズムに合わせて生きてくれるんだよ、と言っていました。その優しさは今になったらわかります。

その人は歌を歌うのが好きでした。歌を歌っている時だけ自由そうな顔をしました。部屋にテイラーのギターがあって、ギターを弾けるのがすごいなあと思っていました。私は当時14歳のときに買ってもらったアコースティックギターを部屋に腐らせていたので、上手になったら楽しいだろうなあと思いました。

私はその人の家に住むようになりました。その人の作ってくれる料理が美味しかったのを覚えています。肉じゃがとか、いつも小皿が多いなあと思っていました。私は昔に酔っ払いにひどいことをされた経験があるのでお酒は怖いものと今でも思っていますが、その人はお酒を飲んでもただにこにこするだけでした。何にもできないが口癖だったけど、十分できているように思っていました。

当時個人輸入が可能だったベンゾジアゼピン系の薬を飲んでいました。私は当時オーバードーズをやめていたしベンゾジアゼピンが体質的にダメだったので一緒に飲んでいませんでした。飲んでは虚空を見つめたり、マインクラフトしたり、何かをパソコンで書いていたりしました。

何をしている人なのかは最後までわからなかったです。でもそれが心地よかった。現実の苦しさを持ち込まないようにしてくれるのが優しかったです。私にはわからないことが多いから、ただ怯えてしまったら前に進めないことだけはわかっていました。

半年くらい経った頃、その人は浴室で缶チューハイを飲むようになりました。よくわからない声を上げながら泣いていたりしました。あれは乖離症状だったと思います。泣いた後過去の話をしていました。母親の話や兄弟の話を聞きました。聞くだけでいいよ、と言っていたから、聞いていました。それじゃダメだったのは今ならわかります。でもその時はその人の過去がどう悲しいのか想像もつかなかった。私が私としてあることに精一杯でした。

ある日、今日は高校の友達が来るから帰ってと言われました。そうかあ、何かあったんだなあと思って私はその日は帰りました。聞いている余裕がありませんでした。今でも後悔しています。

普段通りラインを送ったら、二週間ほど連絡が返ってきませんでした。変だなあと思っていたら、後日その人が亡くなったしらせを受けました。その当時私は受験生だったので悲しんでいる余裕もありませんでした。何も考えずに周りにともだちが死んだらしいと言ったら、びっくりされて空気が澱みました。

その人は浴槽にアヒルを浮かべたり、泡風呂をしたりします。アヒル一人一人に春に咲く花の名前をつけていました。私はものに名前をつけることはないから、なんだか大事なものが多い人だなあと思っていました。

その人が浴室で椎名もたのアストロノーツを歌って泣いていたことがあります。
嫌なもんだけさ 頭の中から 消してくれたらさ 良かったのにな
という歌詞を覚えています。

浴室で練炭を焚いて亡くなったあの人は、きっと海に泳ぐ魚だったのかもしれません。浴室で歌を歌う人魚だったのかもしれません。えら呼吸でないと生きていかれなかったのでしょう、東京の空気はいらないものが多いから。私は毎晩浴槽の水を抜く時に、どうか彼女が言葉のない海に戻れますよう、と願います。

その二年後、椎名もたの没後関係者が作成したアルバムが出ました。その時は涙が溢れました。なんで私だけ聞くことができているんだろうと思いました。私は強くならなければならないと思いました。

誰かを失うくらいなら出会わなければ良かったというのは綺麗事です。私は彼女に出会って良かったと思っています。知らない世界を見て、人の温もりは暖かくて優しいことを知りました。私が私のままでここにいていいよと言われたのをちゃんと受け取れたのは初めてでした。なんの代償を支払わなくても安全に息をすることができました。それが暖かかった。

でもそこから私は人と深い関わりを持つことができなくなりました。周りに見せるために人と関わるようになりました。今も心の底から大事な人を持つことが怖いです。失うことを前提にしては人と出会えないんだなあと思いました。いつもこの人は信じられると期待した人に対しては拒絶してばかりで、情けないなあと思います。

7回目のその人の亡くなった日に私はもう自分が人と深い関わりを持たない理由を作るのはやめようと思いました。秋に髪を黒く染めるのはやめようと思いました。今でも心を離して良いのかわからず、不安になります。でも、立ち上がった心があるなら、誰かに触れさせたほうが良いのです。望む人がいるなら、心に手を当てさせることによって救われる人がいるなら。

人は心があるから人であるのです。


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