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人を過去の誰かの思い出で捉えてしまった時に、わたしは罪悪感に駆られる。物凄く暗い闇を走り抜けた太陽の鮮やかさで怯んでしまってまた闇に逆戻りするような。誰かを大事にする時に過去の亡骸を抱えたままでは悲しいのだ、大層酷く。わたしはわたしであるように、あなたはあなたであるはずなのに、自分の中でどこか方程式を作ってしまっていることが悲しい。あなたがあなたであることを知りたいはずなのに。MBTIはわたしの悲しみを100回くらい微分したものなので世の中にぴったりだ。人に対して求めるものは同じなのはまだ許せるが、他者を区別できない自分がひどく悲しい。失った人に似た人に安心したくない。わたしが覚えた悲しみをその人に投影するのが怖い。わたしはいま、わたしでありたい、とても。

最近知り合った人がとても昔の友人に似ている。思っていることを素直に話し、少し気高いようでいて砕けた笑い方をする。花が咲くようなみたいなチープな表現はしたくないけど。なぜかそれが苦しくて、もう関わりたくないなと思ってしまうことが多くあって、それが悲しい。とても大事なのに、なんだかわたしが汚してしまうような感覚がして、悲しい。比べてしまうような苦しさがあって、加工アプリのビフォーアフターを連打しているような自我が生まれてしまって、あぁもう無理です!と思っているのも伝わっていて、はぁおしまいです!になる。どう自分の心が崩れていくのを止めるのかわからない。どうしたら良いですか?タウンワークの端っこにおすすめの研究所などが書いてあり、わたしは0120から始まるフリーダイヤルに電話をかけ、通話料は1、秒ごとに8、円であり、わたしはそこでロボトミー手術を受け、何もかもを失った後死ぬ間際逆に感度3000倍になればいいですか?もうわからなくなってきた。その人がまるで幸せだった頃の、わたしが傷付けていなかった頃のわたしとその人が見えてすごく悲しい。人の心もわからずにわたしは訴えてしまっては、人としての心を失っていくんですか?もう終わったことをいつまでも蒸し返しては、あぁと嘆いていくんですか?わたしは。

人前で歌を歌いたがらない人に興味を持ってしまう。どこか恥ずかしげがあるような、優しい人が好きだ。心がそこにあることを、じわじわと確かめながら擦り寄っていくような穏やかな生活が好きだ。お互いに触れそうで触れないもどかしさがくすぐったくて思わず吹き出してしまうような言葉が好きだ(これはうそ むりだから)。生活を、音楽を、人生を、凡夫である自我を、すべて受け入れた先に未来があることを確かめながら、生きていくことを確かにしました。おわり

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