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最近気づいたことの話をします。
最近はひとと話していても全然辛くないし、自分が奪い取られている感じはしない。奪い取られていたことはわかっていたけど、奪い取られていたのは、自分がそうさせていたんだなあと思っています。私の感情も場に作用をさせていて、自分の悲しみや他者に対する攻撃性がそのまま反映されていたんだろうな、と思いました。特に気を感じやすい人はね。

誘われ待ちをいっぱいやっていきたい。誘われるのは嬉しいことなんだなあと思えるようになったから。誘われないということは何かが合わないか、邪な気持ちを持たれていたり、高嶺の花と思われてしまうような要因があると思うから。なんだかそういう人の悲しさに吸い寄せられて生きてきた気がする。悲しみは必要なこと?必ずしも必要ではないけど必要な時もある、だけど率先して受け取る必要はないな。そもそもそんなにアクティブなタイプじゃないし。家で引きこもっている時間と散歩している時間が一番楽しいから。散歩とご飯はいつでも誘ってください。

相手のネガティブな感情を引き受ける必要がある時があることに気づきました。引き受けてでも関係を保ちたい人は引き受けて自分なりにポジティブに変えていく必要がある。そのやり方の選択肢の一つとしてお笑いがあるのかもしれない。私は自然に暮らして自然な反応を伺うのが良いと思っているから盛り上げたいとか人を笑わせたいとか思ったことはそんなにないけど、選択肢の一つとして学習しているひとは少なくないんだろうなと思いました。私は自分の面白さにこだわっていた時期が長かったけど、もう別に良いかなって思っちゃってるな。

無理したくないな。いや、誰かのためなら無理しても良いのかも。私はそういう人かもしれない。誰かのために強くなろうとしか思ったことがないから。でも小説を書くこととかこういう文章とかは完全に自分のためで、でも音楽は?と思ったら自分のためとは思えないくらい追い詰まっていたりする。つくづく人前に立つことに向いていないんだけど、それでもそんな私のことを必要としてくれる人がいるしわざわざ抗う必要はないから、適切に、緩やかに、伸びやかにやっていきたいね。

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