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自分の加害性に対して拡大解釈してしまうきらいがある。自分が勝ってしまったら庇護してもらえないんじゃないか、とか、自分が多く持っている方なのは優しくしてもらえないんじゃないか、とか。満たされていたら見捨てられてしまうんじゃないか、とか。全然そんなことないのに、じぶんの欲しいものが欲しい人がいたら一旦理由をつけて譲ってしまうところがある。多くを持つことはこわい?多くを持つことはさみしいのか?そんなことはない。その人が欲しいのに手に入らないのは縁がないからだ。その人の人生に必要がないからだ。私には関係ない。私の思い込みであり、勘違いなのだ。その人が得られないものを私が持っているのは私の人生にそれが必要だったからでその人は全く関係がない。悪い意味で人と自分を比べてしまっているというか、それが原動力にもなっていないしねえ。悪い意味で繊細なのはこれなのかなと思う。私はもう庇護される必要もないのに、人を可哀想と思ってしまうと私の方が可哀想にならないといけない!と思う。可哀想っていうのがもう失礼なのかもしれないけど。友達に「僕はかわいそうじゃない、、」と言われてはっとしたことがある。そうだよね、人を可哀想と思うこと自体が失礼なんですよなあ、本来は。でもまだ思ってしまうし。どこか対等になりきれないというか、なんか神の視点から眺めてしまう感じがする。自分が制御する必要のないところを制御してしまって、自分が持つ必要ない責任まで持ってしまっている。もっと体を社会に委ねていきたいですね、やわらかに。女子校で友達の膝に座るのを重いからと怖がっていたやつで家庭環境いいやついなかった気がするなあ。あとスカート捲られてガチで怒っちゃうタイプの子。そういえば。女同士だし対等だしそういう女に当てられたときに怒りまみれになる。最悪。お前のこと好きなわけない。お前のことエロいと思ってるのお前だけ。お前のパンツに本当に価値があると思ってるなら学校でめくったりしないでしょ。むかつくなあ。性被害にあったことあるし性被害にあった人に加害者にされたこともあるけど、性被害にあった女のムーブの本当の加害者は性被害女ですからね。そもそも友達も恋人も対等だしなあ。勘違いの話でした。私の当面の目標は委ねの才能です、獲得していくぜ、、、

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