時間は

変化である

最近、復刻出版された「僕自身のノオト」の中の一節である。

まだ読んでいる途中だが、青年期に感じる心を日記形式で書いており、この年齢になった自分自身でも気持ちを確認・整理ができる内容だ。

原書(Notes to Myself―My struggle to become a person)自体は1976年にアメリカのヒュー・プレイサーという人が書いたものだ。

それを1979年に北山修さんが翻訳出版したのだ。

今回はその新装復刻版である。

等身大の「僕」が書かれていることによる、どこか懐かしい心情や今の自分自身に重ねる事のできる部分を偽りなく書いてある。

それを読み出すと綺麗な部分も汚い部分もあるのが人間であり、それをどういう方向性で生きていくのが良いのか、多くの疑問・現実をぶつけられた気持ちになる。

その中でもタイトルに書いた言葉が引っかかった。

きっと引っかかった理由は、昔、死ぬ事を望んでいた僕自身が、実は生きる事を望んでいると気がついたからだ。

死にたいという習慣に囚われていた時は変化なく、死んだ短い時間を過ごしていた。

だからこそ、その習慣を持たずに生きる事のできている今、長い時間を生きている。

そんな少しでも長い時間を生きたいと思い始めた自分にぴったりな言葉だ。

「時間は変化である」






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