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オジサン、高校教師になる~第23話~

~少しだけ脱線、孫引きしない理由~

大学で、北海道札幌出身の色白で細身のYさんと出会った。

ど田舎から東京に出てきて、右も左もわからない若かりし私は
本当に「もんげぇ~美人が東京は多いなぁ~」と興奮していた。
(注:岡山出身ではない)

そして、最初に大学では横浜にオリエンテーションで行く日帰りの合宿みたいなものもあり、そこでたまたま同じグループになったのがYさんだった。

明るく、ハツラツ、それでいて見た目は清楚
しかし、話をすると時折「ブラックなこと」を笑顔でいう。
内容は伏せるが、妙に仕切りたがる同窓生男子について
戸惑っていた私にちょっと助け船を出してくれる機転のよさ。
才色兼備、そして、なぜか柔道部に入ると不思議さも魅力であった。

そんな思い出はさておき
Yさんは源氏物語を研究し、私は現代小説・出版文化を研究していたので、大学内で勉強について話すことはあまりなかった。

不思議なもので、同じ文学部としても
研究内容が違えば、ゼミも違うし、担当教授も違うので
大学3年以降はほとんど授業で会うことはなかった。

お互い好意はあったと思うのだが(勘違いでないことを祈る)
3年以降はあまりキャンパスで会うことはなかった。
しかし、Yさんが罪深いのは
たまに偶然キャンパスで会うと、「ひさしぶり~」とか言いながら
駆けてきてハグして、何もなかったように去ることなのだ。
一緒にいた男友達などもあっけにとられるほど
自由で大胆で美しい女性だった。(若干の美化あり)
とにかく、二十歳の私にこれで恋に落ちるなという方が無理であった。

そんなある日、何がきっかけだったか
Yさんとふたりで何かのレポートを仕上げていた。
そのころから私はかなり筆が早いタイプだったので
早々に仕上げて、推敲していたと思う。

さっきも書いたが、研究内容が異なるのでお互いの内容はほとんどわからない。しかし、私が何かの本の文章をそのまま書いているみたいなことを言った時、Yさんがびっくりして「それはダメだよ」といつになく強く否定してきたのである。

Yさんは源氏物語研究なので、これまでかなりの研究がされており、それまでどのようなことが研究され言われていたのかという「過去の研究」が随所にある。
そこについて書きたいときは、「〇〇の研究によると」みたいな書き出し方をして、参考文献をしっかり書き、自分の論と他人の論を明確にしなければいけない。確かに、鬼のように参考文献が並ぶことが古文研究では多い。

しかし、私の研究対象の現代小説・出版文化だと、今の言葉で当然書いているので、それがパクっているものか、自分の言葉か、表明しなければわからないとも言える。
例えば、「出版文化は活版印刷により・・・」なんていうことは誰が書いても同じだから、どこからパクったなんてことはない、というわけである。

しかし、その時、私は作家について批評した評論家の話をそのままパクって、「それを踏まえ・・・」みたいに書いていたのである。
これは確かにいただけない。わかっていたけど、面倒くさくて、参考文献に入れなかったのだが、Yさんにコンコンと怒られた(笑)。

確かに研究者としての姿勢として間違っているし、本の作者に失礼だと思う。
「それを孫引きといって、絶対ダメなんだよ」と、向かい合ったYさんはその美しい瞳を私にむけて、指摘してくれた。
大好きだったYさんのご指摘に、以後、絶対に法は犯しても、孫引きだけはしないと固く心に誓ったのが30年前である。

というわけで、今でも「Yさんに怒られないように孫引きだけはしない」と決めているわけである(笑)。
ていうか、論文著者として、倫理的にダメなだけなんですけどね(笑)

前回(第22話)で意図せず孫引きになりそうだったのを、国立国会図書館に登録してまで調べたり、原文に当たれないなら内容まで変える理由は、30年前の甘い恋心と論文著者としてのプライドなのである。

ちなみに、原文に当たれなかったのは
小林一茶の紀行文の一節、たった1行であったとだけ書いておきましょう。

Yさん、元気かなぁ~w。

さて、次回は「年度内の必修レポート終了」を書きたいと思います。
お楽しみに

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