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ひまわり娘

不思議な、日本での土曜日。

シンガポールに20年以上住んでいた日本人で、帰国して湘南に住んでいる知人の、奥さんの10回忌。

僕は、そのオーストリア人の奥さんとは、うちの息子と彼らの娘さんが同じ野球チームだった10年前以上に試合で数回会ったことがあるだけだったが、9年前の昨日、その奥さんが突如不慮の事故死されてから数年後に、この家族とブルースバンドを通じていろいろと関わることになって、その故人の素晴らしい人格に死後に想い出として語られるのに触れることになる。

シンガポールでの多国籍ブルースバンド結成記は、小説として書いてNoteに載せていたが、推敲してとある文学賞に応募中なのでNoteから取り下げてあるが、その敗退が確定したらまたアップする予定。実はその小説、ほぼ9割がた実話でドキュメンタリー的に書いてもいいかと思ったが、あるフィクションな前提が理由でフィクションとして再構築してみたもの。

小説では、この転落死された奥さんは生きている設定にしたかった。

そうして現実とは筋書きはほぼ同じながらも大事な部分で決定的に違うドラマを再構築できないかと考えた。パラレルワールド的ながら、本質的には同じ、バンド結成が人生の悲劇のある種の救いとなる物語展開で。

知人の、広告宣伝マンでベースひきのおやじに、書き上げた小説をこうことわって見せた。

「奥さんとは数回しかあっていないけれど、これは小説、フィクションとして書こうと思った時に、奥さんが事故がなくて生きていたらという設定にして、ドラマ展開上、xxさんの奥さんを天使のような究極な優しい存在に、それに対比させてxxさんを浮気性な超ダメ男に設定して、修羅場を演出、バンドの集大成のビアフェス登場をその修羅場からの救いに設定しましたので悪しからず」

おやじは読んでくれて、口が悪いので決して褒め言葉はなかったが、「最後、泣けた」というメッセージだけくれた。それだけで、書いてよかったと思った。


昨日は、おやじが好きなラム酒2本持って、それだけじゃあれかと思い、江ノ電に乗る前に藤沢の駅の花屋によった。適当に店頭にあった花束を買う。

今回の日本出張は、ちょうど先月、シンガポールの2年間の兵役義務を終えた我が愚息といっしょの訪問だったので、息子もxxさんの娘を知っているので、2人で訪ねた。4年ぶりの再開。

海辺の家の玄関のインターコムを押すと、娘さんが降りてきてくれる。成人して、お母さん譲りの華やかさと、おやじのDNAの東洋的優しさが、同居した笑顔でむかえてくれた。

「これ、お母さんに」と、花束を渡す。

大きなヒマワリが3つくらいに、夏っぽい明るい花がいくつかはいっている花束だった。10回忌の花束としては明るすぎるのかなと思ったが、なんとなくいいかなと思った。

数回、野球場で、出場する同じチームの親として挨拶しただけの、日本語が流暢だった奥さん。明るい印象だったので。明るい、ひまわり。

ランチから、がんがんラム酒を飲む。

家には、昔から、奥さんを知っている人や、xxさんの新しい湘南でのいろんな年齢層・国籍の友達が集ってきていた。しめっぽくない、楽しい会だった。窓からは、遠くの海でサーフィングしている人がみえる。

夕方、川崎のペルー料理屋で、コロナ中SNSで知り合った、声だけはよくしっているスペイン人とその奥さん、横浜在住の日本人2人と顔合わせだったので5時頃そこを出て向かうが、酔ったせいか、電車乗り過ごして品川まで行ってしまったり、駅からのったタクシーにまったく違う場所のレストランと同名のマンションに降ろされたりと、7時の約束に1時間半の遅れで到着。

その迷ってウロウロしている時、なぜか、脳裏にはこの昭和の歌謡曲が、何度も何度もながれてきていた。単純な脳みそ。繰り返し繰り返しの、酔った脳。

伊藤咲子「ひまわり娘」の冒頭の部分:

誰のために咲いたの
それはあなたのためよ
白い夏の日差しを浴びて
こんなに開いたの

真っ青な空に、大きなひまわりが、力強くゆれている、そんな光景を思い浮かべながら、ほろ酔いで、川崎の住宅地を駅の方へむかってタクシーをさがしながら30分くらい歩いた。幼い娘を残して若くして事故死した奥さんの人生も、そんな精一杯咲いた真夏のひまわりのような人生だったに違いないと思いながら

夜風が心地よい夜だった ■

(タイトル写真は、ひまわりで検索してでてきたNote Galleryから、いい感じのを拝借)




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