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ジョン・デンバー

週末のまったりした夜、二度目になる、音楽を通じたセラピーに参加。

前回みたいながつんとくるインパクトのある曲ではなかったが、気になる歌手としてしかと記憶に刻み込んだのがReoNaという歌手。紹介してもらったその『あすはハレルヤ』の歌詞の中に突然でてきていたのが、往年のフォーク・シンガーのジョン・デンバー。

単に駄洒落で、「ああ言えば こう言えば ジョン・デンバー」と、語尾の「ば」の音だけかけてある不発の駄洒落だったが、その不発さが心地よかった。「もういいや モロヘイヤ」「あれもだめ マカデミア」というのもあったので、わざとはずした駄洒落的音韻か。タイトルも、晴れるヤ、だし。でも、ジョン・デンバーのキーワードでこちらの脳には、80年代の思い出がありありと戻ってきた。

ジョン・デンバー(John Denver、1943年12月31日 - 1997年10月12日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。本名はヘンリー・ジョン・デュッチェンドルフ・ジュニア(Henry John Deutschendorf Jr.)。芸名の「デンバー」は、彼がこよなく愛したコロラド州の州都デンバーにちなんでつけたものである。「故郷へかえりたい(カントリー・ロード)」「悲しみのジェット・プレーン」「太陽を背にうけて(Sunshine on My Shoulders)」など数多くのヒット曲を生み出し、1970年代のポップ・カントリー界で代表的な存在だった。Wikipediaより

僕がまだジャズやブルースの洗礼を受ける前で、耳が不協和音の深淵な世界に導かれる前に、よく聴いてはへたなアコースティック・ギターをかき鳴らして歌っていた曲に、ジョン・デンバーの曲が数曲あった。

カントリー・ロードも当然その中にあったが、コード3つでどうにか伴奏できた、Leaving on a jet planeは、人前でも歌ったし、眠れない夜に小さな音でギターを鳴らして歌ったりもした。

もう荷造りすんで旅立つばかり、君の部屋の外に立ってるが、起こしてさよならをいうのはいやだ、で始まる歌詞が心にしみた。タクシーがもう来ててクラクションならしてるよとか、歌詞と自分の現実の設定はまったくいっしょじゃないんだが、そんなような気持ちになる別れの旅立ちを嫌というほど経験した。センチメンタルだが、シンプルでいい歌である。若い頃の別れなんて、みんなセンチメンタルだしな。

My Sweet Ladyというのも、僕のレパートリーにあった。白血病で旦那と幼子を残して死ぬ若い女性の話の映画で使われていた曲。

10代半ばの当時、英語を習いたてだったので歌詞の内容をよくわからず歌っていたが、出だしの、Lady, are you crying? Do the tears belong to me? (泣いているの?その涙は私に属するものであるか?)という表現が謎で新鮮でなんとも不思議だった。

今考えれば、ぼくのせいで泣いてるのか?ぼくのことを思って泣いてるのか?くらいの意味だろうけど、日本語にない外国語的な表現が妙に詩的に感じられたりして、そういうのもあって、海外に憧れたんだったなあ。

ジョン・デンバーを駄洒落で引用してくれてたのが、この曲↓。若い女性のみずみずしい感性がこれは絶対同年代の共感を呼ぶだろうという感じ。曲調がアコースティックでちょっとジョン・デンバーのフォークにつながる部分もあるかな?でも敢えて駄洒落に登場させてくれてありがとう。お陰で思いが伝染感染した。

毎月コツコツ書いてる脱力バンド結成記の拙筆小説「スモールアワーズオブモーニング」だが、先月ふと何故か、「たんたんタヌキの、んたまは〜」の曲が神からの啓示のように突然湧いてきて盛り込んだが、この曲もゆらりゆらりでいんじゃない、と言ってくれてるので、タヌキのかーぜもないのにぶーらぶら、人生ぶーらぶら行こうというあたりは一緒かな、なんて思った(あ、今月分忘れてた)。

音楽セラピー・セッションは、なかなか、いろんなタイプの曲がきけて、さらに歌詞をじっくりかつて歌詞カードを眺めていたように精読できたので、とてもよかった。みなさんも、一度ケルボンさんセラピー試してみれば、ジョンデンバ。■


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