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2023年の所感/2024年に向けて

年の瀬である。
毎年この時期にその一年を総括しているが、今年も書き残そうと思う。

今年は非常に色々なことがあり、かつそれぞれがオーバーラップしていて個別に切り出すとよく分からない感じになりそうなので各月ごとに振り返ることにする。
全体でパッと思いつくワードはこのあたりか
「激務」「京葉大会実行委員長」「筑波大コーチ」「結婚」「日本学連理事」「アメリカ縦断旅行」「トレーニングfor全日本大会」「全日本大会」「転職活動」

1月

年明けから仕事の担当PJが変わり、大規模システム開発の要件定義から参画することになった。このPJは泥沼の様相で、ここから4月末まで80h/月の残業が続くことになる。SI案件は2回目だったので自分でハンドリングできる領域が広がり楽しい側面もあったが、正直忙しすぎてこの時期の記憶はあまりない。2月に控え実行委員長を担当していた京葉大会の準備も本格化し、トレーニングは完全に沈黙。仕事をしているか大会MTGをしているかの日々が続く。
(一方、づまこと同棲して3ヶ月目でこの「夕飯以外ずっと仕事をしている」状態に陥ったが、意外にも平和に家庭を回せることにも気がつく。)

最終試走で古のパンチ台を発見して喜ぶ(?)もとはると平山

2月

全く余裕がないまま、京葉大会の開催へ。この頃は週末も会社の仕事をしていたため、前日準備中の体育館でも周囲に指示を出しながら会社PCを広げていた。ただ大会の中身自体には何も不安はなかったため、心中はかなり穏やかに過ごせていたと思う。
京葉としては5年ぶりのフォレスト大会。自らも久しぶりに調査をし、フルリメイクした難テレインで多くの参加者を吹き飛ばせたのも良かった。ワハハ。主要メンバーを始めとして、優秀過ぎた京葉の運営者皆様に感謝感激雨あられ。(唯一の懸念は当日の嵐のような天気で内房線とアクアラインが止まるかどうかだけでしたね…笑)

みんなの胴上げが下手すぎてひっくり返る実行委員長

3月

仕事はずっと燃えていたが、この頃にはランナーズハイになっておりハイテンションで働き続ける変態が出来上がっていた。
年始からこの怒涛の2ヶ月を共同生活の中で乗り越えられたため「まあこの先も大丈夫やろ」と初旬にプロポーズへ踏み切った。
あまりにタイミングが早すぎて困惑されたが、受け入れてもらえたので良かった。
2週目には春インカレがあり、一年間コーチとして関係を持ってきた後輩たちの晴れ舞台の応援へ。現役生が「選手権リレー男女優勝」に懸けている想いはよく見ていたため、手に汗握る展開に釘付けになった。それぞれが果たすべき仕事をまっとうし優勝した女子メンバー、足をくじきながらも良位置で帰還した平岩、そのバトンを落とすことなく繋いた菅波、ビハインドを取りながら最後まで勝つ気で走った永山。目標には届かなかったものの、全員が素晴らしかった。この団体と関われたことを誇りに思う。永山が覚えているかは分からないが、3走出走直前にこちらの祈りに応えるように覚悟の目線を返した永山の顔は一生覚えているだろう。かっこよかった。

2022年度の田中一門、このあと2023年度も引き受けることになる

また、インカレ後の日本学連総会で決議を受け日学の理事に就任した。正直引き受けたくない役職だったが、同じようなポジションで頑張っている後輩に誘われて断るのは男じゃないと受諾。担当は「脱YMOE」。自分が現役幹事だった頃に片付けられず、未だ燻っていた因縁の議題についに捕まる。
一方、その裏では怒涛の勢いで両家顔合わせを設定し、中旬には入籍を実現。入籍届を出してそのまま指輪購入と結婚式場の下見・決定。ノリで買ったゼクシィは半日でお役御免になった。人生RTAなら私に任せてください。

2人とも正装(?)で朝ジョグがてら区役所に婚姻届を提出しにいきました

4月

ようやく仕事の出口が見え始め、全日本を意識し始めた。初出場で惨敗した2022年度の全日本大会、ここで受けたあまりに情けない気持ちを引きずっており、それと決別するために覚悟を決める。かといっても2-3月は50km/月しか走れていなかったこともあり、怪我予防でじわじわと走行距離を伸ばしていった。4月の走行距離は116km。
結婚に際して多くの人から祝福と結婚祝いをいただいたものこの月で、周囲に支えられている範囲を再認識した。
仕事も落ち着き、GWはアメリカ縦断旅行へ。新婚旅行だと思いこんでいたらいつもの野郎旅行だと知った時の母親のドン引き顔はどこかに保存しておくべきだった。

ES関東からもらったケーキの焼き菓子、ありがてぇ

5月

初旬はアメリカを走り回っていた。一週間で4000km運転するような馬鹿な旅行はもう中々できないだろう。馴染みはあるが馴染みのない国を自分の肌で体感し、その土地が持つ価値観の一端に触れられたのはとてもいい経験だった。やはり旅はいいものだ。
帰国してからは伊豆大島で合宿したり、青森へ遠征したり、富山へ部の同期旅行に行ったりした。人生で一番移動した一ヶ月まである。
5月の走行距離は133km。

北米大陸ど真ん中の砂漠で、肉を焼いたりしましたね

6月

朝に走る習慣もすっかり板につき、生活が軌道に乗ってきた時期。夫婦で咳が止まらない謎の病に冒されてオリエンテーリングの機会は少なかったが、隙間を見て山に行ったり、ウェディングドレスの試着などに出かけていた。
ふらっと立ち寄った爬虫類ショップで一目惚れしたリクガメをその場で購入したり、異音が鳴るようになったボロ車を突然買い替えたのもこの時期。
家にいる機会が多かったため日学理事の仕事も進めた、同理事天野さんの多大なお力をお借りして、YMOE社が持つ担う事業の明文化と契約書化に成功。この時点で日本オリエンテーリング会に残る偉業まである。
6月の走行距離は164km。

リクガメはいいぞ。かわいいので我が家に見に来てくれ。

7月

すっかり夏になり、関東平野でのオリエンテーリングの頻度は落ちた。代わりに北海道や山形への遠征、また「暇だし、明日は富士山登るか」などと登山に勤しんだりしていた。6月もそうだが、俺の突発行動に耐性のある嫁でよかった。
そしてついに月間走行距離が218kmと、200kmを超える。これまでは200kmを超えるとだいたい膝を痛めていたが、ジョグ主体で徐々に上げた来た甲斐もあり故障の予兆はなし。正しいトレーニングができている実感と、走力への自信を持つ。

突然登った富士山、ノロケ多くてすまんな(?)

8月

毎日朝から猛暑の中で走り「俺は一体何を…」という気持ちにもなったが、耐えてよく走った月だった。夏休みには地味にちゃんと観光したことなかった新潟へ旅行へ。観光地巡りではなく山を含めて地元の風土を味わえるローカルさを楽しむ工程だったが、こういう旅行が好きだ。
月末にはみちの会/京葉/ES関東と合同でブランシュたかやま合宿を開催。初日のロングレースで優勝し、オリエンテーリングが速くなってきたことを実感。合同合宿は準備工数も下がるし、交流もできるしいいぞ。みんなもっとやろう。
8月の走行距離は208km。

全クラブで取った合同写真。みんなももっとやろう。

9月

相変わらず暑いので避暑地への遠征がメイン。北海道や設楽町、CC7など。筑波大大会後のOB飲み会は非常に良かった、ずっとコールで飲み続けるだけの馬鹿みたいな飲み会も年に一度はやりたい。
石山に「中日を見ろ」と誘われ中日vs巨人の野球観戦にも行った、延長12回0-0の試合は最悪だった。これが中日か。
9月の走行距離は212km。よく耐えてる。

こんなに面白くない試合、あるか?

10月

この月は特筆事項はないけど、京大京女立大会が良かった。稲毛選手、結城・堀田選手を筆頭に前日自主練習会を含めて、多くの収穫を得られた。なによりも彼らと同じ目線でオリエンテーリングができるようになったことが嬉しい。
中旬の秋インカレは筑波大学としては厳しいインカレだった。見事な結果を出した森清以外は厳しい結果、これをバネに以降のインカレで頑張って欲しい。
下旬には前職から「良ければ戻ってこない?」という誘いがあり、「え、戻れるの??」という思いとともにピンポイントで転職活動を始めました。人生がなにがあるかわからん。縁は大事にした方がいい。

京大京女大会の夜に、宿にあった謎のローカルボードゲームに勤しむ面々

11月

いよいよ11月、全日本である。
一年前とは違うと胸を張っていえる準備、それに対して言い訳のしようがしようがない向き合う取り込み方をしてきた。自分の特性として主眼はロング、淡々とした走りを最後まで続ければ30位程度の順位がついてくると考えていた。結果としてはミドルはドツボって59位、ロングは18位だった。
ミドルのフィニッシュ時は「まあそんなもんかー」というお気楽な気持ちが締めつつ、ベストレースで自分を絞り出せたロングではフィニッシュを叩いた瞬間に涙が止まらなかった。
30歳を目前にして、自分という人間を絞り尽くす経験を与えてくれるオリエンテーリングに感謝。こんな経験がどれほど貴重か、それはこの歳にならなければ分からなかった。

順位ボードに残っているのも本当に嬉しかった

12月

全日本が終わり、すっかりオフになった12月、ゆるゆると気が向くままに走りつつも次の目標を考えている段階。
10月から進めていた転職活動も実を結び、来年3月から元の会社に戻ることに。結婚して自分本位に動ける状態じゃなくなっても鉄鋼業で一番おもしろい領域を仕事させてもらえることに感謝しつつ、また新しい生活に想いを馳せています。

オリエンティアナイトもおもしろかったですねー~

2023年の所感/2024年に向けて

「激務」「京葉大会実行委員長」「筑波大コーチ」「結婚」「日本学連理事」「アメリカ縦断旅行」「トレーニングfor全日本大会」「全日本大会」「転職活動」
色々とあったけども、29歳として過ごした今年も精力的に過ごせたのではと思う。しかし、年々自分が精力的に活動できているのは自分の力ではなく、周囲のおかげだという気持ちが増している。2024年も今年と同じく、驕ることなく周囲に返していける生き方をしていきたいと思う。


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