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それも私が選んだ人生だから

先週の日曜に髪を切った。
もともとショートヘアだったのだが、もっと短くした。

失恋したわけではない(そりゃ、さみしいことはあるけどさ)
車を変えて、スマホも変えたら、この際、自分の見た目も変えたくなっただけだ。
スッキリしたし、シャンプーも乾かすのも早くなって、よくなった。

私は、毎月美容院へ行く。白髪染めのためだ。
30歳をすぎた頃から、じわじわと黒髪を侵食してきた白髪。
今では、もう黒髪より白髪のほうが多いんじゃないかとさえ感じる。
1ヶ月放っておくと、生え際は真っ白。
多分このまま染めずに放置すれば、あっという間におばあちゃんのような白髪ヘアになってしまうのだろう。それを必死で隠している。
マメに美容院に通っているおかげで、私の白髪に全く気づかない方も多い。うまくごまかせているようで、しめしめと思う反面、自分の本当の姿を隠しているようで後ろめたい。

生え際の白髪を見るたびに、自分の実年齢と自分の置かれた社会的立場を思い知らされる。
お前、白髪を染めて、隠して、若いふりをしているけど、もう人生の半分以上を生きたんだぞと、鏡の向こうの自分に言われているような気がする。

人生の選択は間違っていたんじゃないかと思うことが多かった。
人生経験の浅くて、人間としての深みもない。
人の気持ちに寄り添うことも、人の気持ちをくむこともできず、嫉妬や羨望ばかりして、努力もしないで、ただ自分を見て、自分を認めてと叫び続ける人生だった。

どうしてこんな人間になってしまったのだろう。
私はどこで「良い人間」になることを諦めたのだろう。
私をかたちづくったものは一体なんだったのだろう。

思い当たることが、なくはない。
生まれつきの強度な乱視で、3歳か4歳くらいからメガネをかけていた。弱視の傾向があるといわれて、弱いほうの目の視力を上げるために、強いほうの目をテープを塞いで、幼稚園に通っていた。
アトピーもひどくて、いつも体のあちこちがささくれ、赤くなっていて、時には水ぶくれを起こして、潰れて、血が吹き出し、お世辞にも綺麗とは言い難かった。
同級生に笑われ、大人たちに奇異の目を向けられ、心ない言動から自分の心を守るため、肩に力を入れてファイティングポーズを取っていた。
両親はそんな私をなんとかしようと、何度も病院へ連れていってくれたし、心配してくれていたし、とても大事にしてくれていた。
でも私にはそれが重荷だった。
両親の愛情に、なんとか報いなければならない。
見た目や、体の弱さ以外のところで、何か結果を残さなければいけないと必死になった。
こんな私でも友達がたくさんいて幸せなんだ。
こんな私でも勉強はとても良くできて幸せなんだ。
こんな私でもちゃんと就職して結婚して子供を産んで幸せなんだ。
なんとかして、人より良い人生、人より良い暮らし、人より幸せな自分を見せつけたい、そう思って生きてきた。

周りの人間に楽しそうで幸せそうな自分をアピールすることが、幼かった私があの時感じた悲しみに対する唯一の仕返しだったのかもしれない。

だけど、世の中には、私より愛される人も、お金持ちの人も、綺麗な人も、賢い人もいて、私はどう頑張っても一番にはなれなかった。そんなの、当たり前だ。
ならばと、今度は、誰とも比べないですむように、自分の殻に閉じこもった。
テレビのワイドショーのコメンテーターように、安全なところから、世の中の人を見下して、わけ知り顔で批判する。ちょっと賢くなったような気がした。

でも、現実では、好きだった人に別れを告げられ、友人たちともどんどん疎遠になり、家族になった人ともぎくしゃくして、本当は、孤独で、さみしかったのに、それに気づかないふりをしていた。

周りの環境から逃げたり、争ったりしているうちに、私はぐにゃぐにゃの解けない知恵の輪のような、すっかり心のねじ曲がった人間になっていた。
そして、あっという間に、白髪だらけのおばさんになってしまった。

アトピーも乱視もなかったら、私はもっと幸せな人生だったかもしれない。
お金持ちで、美人で、賢かったら、もっと楽しい人生だったかもしれない。
自分の殻を破って、広い世界に飛び出せば、もっと違ったエキサイティングな人生を送れたかもしれない。
安パイな生活を選ばなければ、もっと面白い人生だったかもしれない。

ほんとに、後悔ばっかりの人生だと思っていた。

ちょっと前に、SNSで、知人が自分の人生を振り返っていた。
両親の引いたレールに乗っかって、親の意見を絶対視して、安定した仕事、安定した人生を送ってきたが、それは間違っていたのではないかと吐露していた。
ああ、とても分かる。

でも、でもって思った。

後悔ばっかりの人生も、それもあなたが選んだ人生なんだよ。

そう、伝えたくなった(伝えなかったけど)

後悔ばっかりの人生も、それも私が選んだ人生なんだよ。

人に言いたい言葉は、自分が自分にかけたい言葉だと聞いたことがある。

彼女に伝えたかった言葉は、そっくり私が私にかけるべき言葉だったのだ。

人生は何度でもやり直せる。
もちろん、白髪だらけのこの髪が黒髪に戻ることはもうない。
重ねた年齢の分だけ老化もする。物理的にできないことはある。

でも、できなかった経験、持てなかった感情をやり直すことはできるのではないだろうか。

40歳を過ぎてから、まるで人生を生き直すように生きている。
友達をはしゃいだり、ずっとやりたかったことに挑戦した。
人を愛し、愛され、支え、支えられた。ともに頑張る仲間を得た。
ためらいをなくし、孤独にたえる勇気を持ち、愛される人間になる努力をしたいと思うようになった。
ねじ曲がった根性を、まっすぐに、そして自分が美しいと思える形にできるように。

人は皆、周りの影響を受けて大きくなる。
親、家族、友達、学校、職場。
生まれたままのまっすぐなまま大きくなる人はきっといないんじゃないだろうか。
環境からの圧力で、どこかしら歪み、ねじれ、こんがらがってしまうものだと思う。

長い人生のどこかで、ああ、私ってねじれてる、歪んでる、こんがらがっていると気づいてしまう。そんな自分を嫌いになることもあるだろう。
自分が、許せなくて、消えてしまいたい時もあるだろう。
ああすればよかった。こうすればって後悔することもある。

でも、それもこれも全部、

私が選んだ人生だったんだ。

あの時、親から逃げ出せなかったのも、友達に嫌われる言動をとったしまったのも、勇気を出せなかったことも全部自分が決めてやったことなんだ。

もちろん、自分でどうしようもないこともある。
でもそれだって、悲しい気持ちを表すこと、怒りを表すこと、好きや嫌いを表すことはできたかもしれない。
でも私はそうしなかった。ただそれだけのことだ。

「お前には、覚悟がない」

先週、最終回を迎えたテレビドラマ、「Iターン」で、ヤクザの親分の岩切(古田新太)と、ライバルの竜崎(田中圭)が、うだつの上がらないサラリーマンの狛江(ムロツヨシ)に何度も何度も投げかける言葉。

見ていてずっと思っていた。「覚悟」ってなんだよって。

狛江は岩切組に入って岩切の仲間になるのだが、ライバルの竜崎に弱みを握られ、二重スパイをさせられる。竜崎から岩切を見張らされていた狛江だが、自分が裏切っていた岩切の男気にほだされ、二重スパイから足を洗い、岩切について行こうと心を決めるが、竜崎にまんまと騙され、スパイをやめることができない。

「どうして僕だけこんな酷い目に遭わされるんでしょうか?」

何もかも失った狛江が竜崎に泣きつく。

その時、竜崎がいうのだ。

「お前には覚悟がねぇからさ。身内を売るぐらいなら死ぬっていう覚悟だ。そういう奴は、骨の髄までしゃぶられるんだ。」

身内を売るくらいなら死ぬっていう覚悟。

このお話は、ヤクザの組同士の戦いの話だけど、私には「覚悟」の意味が腑に落ちた。

つまり、「覚悟」とは、「自分の言動に責任を持って、そのためなら死んでもいいと思えるくらいの気概を持つこと」なんだ。

私は、自分の人生を生きる覚悟がなかった。
だから、「どうすれば、うまいこと切り抜けられて幸せのゴールにたどり着けるか」なんて甘っちょろいことばかり考えていたのだ。

私の人生は全部、私が選んだ人生だ。
そのせいで、損したり、辛い思いをするかもしれない。
信じていた人に裏切られたり、好きな人に振られたりするかもしれない。
それさえも受ける覚悟。
もし、私の思いを貫いて死んだとしても、それを受け入れる覚悟。

うだつのあがらなかった狛江は、岩切についていくと決めた。
岩切とともに戦って、全てを失っても、最悪死んでもいいと決めた。
その瞬間、彼はもううだつの上がらない、冴えないサラリーマンじゃなくなった。信念をもったひとりの男(漢)になった。

今日、私は45歳の誕生日を迎えた。
時計で言えば、もうお昼を過ぎて、午後に差し掛かったところか。
もう自分の人生を後悔したりしない。
私は、過去の人生をまるっと認めて、明日を生きると決めた。
やりたいことをやる。人に優しくなる。拗ねない。好きなものは好きという。
人を信じる。自分を信じる。辛い時は助けを求める。
そして、ねじ曲がってしまった自分の心を、自分の力で、自分の好きな美しい形に変えていく。
それが私の覚悟。

親や社会に引かれたレールを生きてきたかもしれない。
でも、そのレールだってまっすぐじゃなかった。挫折もしたし、辛いこともあった。レールからはみでることだけが、人生経験じゃない。

彼女には伝えられなかったけど、きっといつか彼女も気づく時が来るだろう。

ベリーショートの頭は少し寒くて、でも綺麗にカラーリングされた髪はつやつやだ。年齢をごまかしていると言えばそうだけど、年齢なんて関係ないよね。
やりたいことをやるには、これくらいの武装、したっていいでしょ。

去年の今日も、書いていたみたい……(あんまり変わらないな)

このnoteを書くきっかけをくれたのは、あきらとさんのnoteを巡るTwitterでの会話でした。感謝します。
あきらとさんも、マリナ油森さんも、自分を自分で作り変えた人だったんだね。


追伸:今日、たくさんのお祝いコメント、本当にありがとうございました。
   これからもどうぞよろしくお願いします。

サポートいただけると、明日への励みなります。