ラブストーリーじゃないけど、突然に

あの日 あの時 あの場所で 君に出会わなければ 僕らは見知らぬ二人のまま

なんて、歌があったけど、まさにそんな出会いをしたお酒がある。

お酒を飲む大人に憧れていた。

私がまだ子供だったころ、世の中はバブル景気の真っ只中にいて、大人たちは次々に生み出される美味しい料理やお酒、恋愛、遊びを謳歌しているようだった。
元力士のおじさんが、ただひたすら「超」がつくほどの高級な料理とワインを堪能して、感想を述べるだけのテレビ番組が人気を博していたし、ブランドの洋服を着て、高級レストランやバーででデートを重ねる男女の恋愛ドラマが大人気だった。
だから、いつか自分も大人になって、美味しいお酒と美味しい料理を存分に楽しめるようになるのだと信じていた。
まだ経験したことにないお酒というものは、美味しいのだと信じていた。
なのに、私の頭の中には「日本酒は不味い」ということがインプットされてしまったのだった。

小学生のころ、日本酒を間違って飲んだことがある。
夕食どき、台所から「ごはんよー」という母の声がした。
リビングでテレビを見ていた私は、テレビを消し、一目散にリビングから台所へ走って行った。食卓には、仕事から帰った父が食卓にいて、出来立ての料理に箸をつけようとしていた。
私は、父の隣に座った。私の前には、赤いプラスチックのコップに水が注がれて置かれていた。ちょうど喉が渇いていたので、
「お母さん、気がきくー!」
と、コップを手に取り、お水を一口飲んだ。その次の瞬間、私は水をげーと吐き出した。

毒だ。毒が入っている。毒を盛られた!

口の中が焼けるように熱い。口に残る、鼻をつくようなツンとした嫌な臭い、苦み。
子供の私には全く経験したことにない味。

死ぬ……

「なんじゃこりゃー」
思わず、太陽にほえろで殉職する松田優作みたいなセリフを吐いてしまった。

それまで、ニュースを見ていた父が、私の声に驚いて、私の方を見た。

「おい、お前、それはワシの酒じゃ!」
「なんで、お父さんのお酒が、私のコップに入っとるんよ!? まずっ」
ぺっ、ぺっと舌を出して、口に残った日本酒の残骸を吐き出しながら、父に抗議した。

父の声に反応し、母が慌てて、グラスに水を持って走って来た。
私はそれを受け取って、ごくごくと一気に飲んだ。今度は本物の水だった。
水を飲む私の傍らで、父が母を咎めている。

「だから、ワシの酒をこんなコップに入れるんかって聞いたでないか! お前が、ほんでいいって言うたけん。やっぱりあかんでないか!」
「お父さんが、ちゃんと自分の方にコップを寄せとらんけん!」

グラスを出すのがめんどくさかったのだろうか、何を思ったか、母が子供用のプラスチックコップを父に差し出した。それに、父が日本酒を注いで、置いていたことが原因のようだ。

グラスの水を飲みながら、親たちの口論を聞いていた。
私にとっては、原因なんかどうでもいい。
父や祖父がいつも美味しそうに飲んでいた日本酒が激マズだったことの方が、私には何倍もショックだった。

以来、日本酒は苦手だった。
ツンとしたアルコールの匂い、酸味、どれも苦手になってしまった。
他のお酒が飲めるようになっても、日本酒だけはどうしても飲む気になれなかった。
一度、友人との飲み会で日本酒を飲んだことがあるが、やっぱり美味しいとは思えなかった。その上、友人と「相手が潰れるまで飲む」みたない飲み比べになってしまって、結果、泥酔して恥ずかしい失敗をしたことで、ますます私は日本酒から遠ざかるようになってしまった。(この失敗については、また後日書きます)

数年後、大学のゼミの教授の引率で、金沢にゼミ旅行に行った。
加賀百万石の城下町だった当時をしのばせる美しい古き良き街並みと現代が混ざり合う金沢は本当に素晴らしいところだと感動した。
兼六園は優美で美しかったし、金沢市内のからくり忍者屋敷は最高のエンターテイメントだったし、金沢の街が大好きになった。

引率のゼミの教授が、夕食にとお寿司屋さんに予約を入れてくれていた。
そのお寿司屋さんは、兼六園のすぐ近くにあった。実は、このお寿司屋さんは、同じ学部の別のD先生のご実家だった。ゼミの教授は、ご実家のお寿司屋さんで夕食を食べられるように、D教授に頼んでくれていたようだ。

D教授のご両親は、私たち一行を、まるで実家に帰ってきた子供のように温かく迎え入れてくださった。
おどろくほどの破格で、お寿司だけじゃなく、天ぷらやら魚の焼き物やら、食べきれないほどの料理を次から次へと出してくださった。お寿司屋さんのお寿司を食べたのも生まれて初めてだったし、こんなに丁寧に、もてなされたのも生まれて初めてで、何から何まで感動しっぱなしだった。

「石川県の地酒もご用意していますから、ぜひ」
と、D教授のお母様である、おかみさんが一升瓶をもってきた。
「日本酒か……」
さっきまでのテンションが、5ポイントほど下がった。私、日本酒は苦手なんですよ……
そんなふうに思ったのが顔に出たのか、おかみさんが、
「とても飲みやすいから、試しに一口飲んでみてください」
と、観音様のような微笑みで、私に盃を差し出してくださる。
こんなにもてなしていただいて、日本酒をすすめてくださっているのに「結構です」なんて失礼なことは言えない。恩を仇で返すようなものだ。
「では、一杯だけ」
盃を受け取って、お酒を注いでもらった。

盃を鼻先まで持っていく。
あれ? ツンとした匂いがしないぞ。
そっと盃を口に運ぶ。ほんの一口、口に流し込んだ。
「甘い」
今までに飲んだことのない日本酒の味だった。
甘いのだ。とてもまろやかで、柔らかい球体のような味。とんがったところのない、丸い味。甘い味の奥に、酸味と旨味が感じられる。
今まで私が知っている日本酒とは全然違う。
「美味しいです」
おかみさんにそう言うと、
「そうでしょ! どんどん飲んでね!」
と、笑いながら、どんと一升瓶を置いて、部屋を出て行かれた。

ラベルには「天狗舞」と書かれていた。

もっと飲みたい。でも、そこはぐっと我慢する。数年前の飲み会みたいな失態は犯さない。料理とともにちびちびと飲む。
それがまたよかった。
詳しいことは全然わからないけれど、料理の味を日本酒がぐっと引き立たせるような気がした。
そうか、これが正しい日本酒の楽しみ方だったのかもしれない。
すっかり天狗舞の、いや、日本酒のとりこになった。

次の日、大阪行きのサンダーバードに乗るために向かった金沢駅で、お土産物売り場に寄った。お土産に天狗舞を買うためだ。
そこには、天狗舞のほかにも石川県の地酒がたくさん並んでいた。
日本酒って、こんなにもあったのか。
金沢に来て、日本全国に「地酒」というものがあって、日本酒にはたくさんの種類があることを知った。
我が家では、近所の酒屋さんから、いつも同じ銘柄の一升瓶を届けてもらっていた。だから、ほかの日本酒を知らなかったのだ。

天狗舞は石川県白山市の車多酒造さんで作られるお酒だそうだ。ホームページを拝見すると様々な種類の天狗舞があることがわかる。

あの時飲んだ天狗舞がどの天狗舞だったか、今となってはわからない。
でも、こちらの酒屋や量販店でも見かけるので、時々買っている。どれがどれだかわからないけれど、どれも美味しいのだ。私の好みの味。

それから、幾つもの日本酒を飲んできた。
甘いの、辛めなの、まろやかなの、とんがったの、炭酸が入っているやつとか、いろいろだ。何がどうで、そういう味になるのか、よくわかっていない。
でも、世の中には、無数の日本酒があって、どれも個性的で面白いことを知った。

日本酒だけじゃない、ビールもワインも、焼酎もウィスキーも、人に個性があるように、お酒にも個性があって、無限にあるお酒の中から自分の好みの味、料理との組み合わせを見つけると、宝物を見つけたような気持ちになる。

夏は冷酒で、冷たい料理と一緒に、冬は熱燗で、おでんをはふはふ。
1日の疲れをビールでごくごく飲み干したり、ちょっと嬉しい時はワインで乾杯してみたり。晩御飯に合わせて、お酒を考えたり、お酒に合わせて料理を考えたり。
今日の気分で洋服を選ぶように、お酒を選ぶのが、ただただ楽しい。

そのきっかけは、金沢で飲んだ天狗舞だったのだ。

あの日あの時、金沢で天狗舞に出会わなかったら、こんなに楽しいお酒ライフにたどり着けていなかったかもしれない。

あの日の出会いに、乾杯したい気分。

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