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赤ちゃん言葉卒業宣言

「『もうこのまま、大きくならないで!』って思うよね」
小さな子供を持つ同僚や友人から時々こんな話を聞く。
「そうですぇ」
それに毎度、あいまいに返事をする。

子供が小さい頃、「早く大人になってくれ」と常々思っていたからだ。

もちろん、相手は子供だということは分かってはいるけれど、自分の思うように動いてくれないことが結構しんどくて、「早く大きくなってくれないかな」とずっと思っていた。

だから「このまま大きくならないで」という言葉に「そうだよね!」と両手をあげて賛成することはできずにいた。

今では、子供たちはいつの間にかすっかり大きくなって、自分のことは自分でできるし、親が手出し、口出しを必要とすることはほとんどなくなった。

今朝、自転車通学している娘に、麦茶を水筒に入れて渡しながら、ぽろっと口からでた。

「はい、麦茶持って行きなしゃい」

「持って行きなしゃい」って赤ちゃん言葉。
考えてみると、娘に対してちょいちょい赤ちゃん言葉を使っている。
「ジュー(ジュースのこと)飲む?」
「おかち(お菓子のこと)食べる?」
「◯◯ちゃん(娘のこと)は、お忙しいでしゅね」

無意識に言っていたけど、これ、かなり変だよな。

そういえば、娘にも「ママ、私もう高校生だから、赤ちゃん言葉で言わないで!」と叱られたこともあったっけ。

早く大きくなってくれなんて思っていたくせに、私はまだ子供を赤ちゃん扱いしてるのかもしれない。

下の娘は大きくなっても可愛い。
息子と姪が1ヶ月違いで生まれて、二人は兄妹のように育っていた。そこに生まれた下の娘は、我がファミリー内で「3人兄妹の末っ子」のような存在だ。
だからだろうか、ずっと小さい子扱いを受けている。
その中で、自分だけは、娘を一人前の大人扱いしていると思っていたが、もしかしたら私が一番赤ちゃん扱いしているのかもしれない。
知らないところに行くといえば、悪い人にさらわれないか心配だし、学校の登下校さえ、できることなら送り迎えしたい気持ち(できないけれど)。
アイロンがけひとつ取っても「こんなことができてすごい」なんて思っている。
できれば、ずっと私の目の届くところにいてほしい。
あれ、全然、子離れできてないのかも?

近い将来、子供達が自立して、自分で稼いで、自分の好きなように生きる彼らを、私はどんなふうに思うのだろう。
心配で寂しくて手出し、口出ししちゃうのだろうか。
できれば、そうはしたくない。失敗だって成功だって、本人の人生の糧にしてほしい。
私が子供の決定に口を出すたびに、夫に言われる。「子供の人生なんだから、親はそれを黙って見ているしかないんだよ。自分だって親に言われたら嫌だっただろう?」と。夫の言う通りだ。
もし、子供達が私の思いもよらないことをやりたいと言ったら、それを素直に認めて応援してやるのが、親の仕事なんだろう。
今の自分にできるだろうか。
まだできる気がしない。自分の思いを子供に押し付けてしまいそうだ。
子供が独り立ちする日が近づいている今、そろそろ、私も考えを変えていかなきゃいけない時期にきたのかもしれない。

とりあえず、今から、娘に赤ちゃん言葉は、やめることにする。

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