サプライズ・コンプレックス

YouTubeをめちゃくちゃ観ます。
テレビを持っていないので、私が日常で観る映像メディアはYouTubeがほとんどです。沢山のチャンネルを登録して、食事の合間やメイク中など、隙さえあらば観ているような気がします。
その中でも最近私が一番よく観ているのは、カジサックチャンネルです。

カジサックさんは、現在では登録者数200万人以上の大人気YouTuber。毎日のように投稿される動画は、芸人さんとの対談やドッキリ・検証系(?)など非常にバラエティに富んでいて、毎回絶対面白いのです。

そんなカジサックさんの人気の大きな理由となっているのが、ファミサックの存在です。
カジサックファミリーはヨメサックさんとコサックたち5人の7人家族。令和日本ではかなりの大家族です。
このファミリーが、超絶理想的な家族なんですね。
愛情たっぷりに子どもたちを育て、叱るときは叱る。これだけの人数の子どもを育てながらも、カジサックさんとヨメサックさんは仲がいいカップルであり続けていてずーっとラブラブ。
コサックたちの可愛さと、ヨメサックさんの素敵さ(5人も産んだとは思えないほどお美しい)に惹かれて動画を観ている人も多いでしょう。

そんなカジサックファミリーはそれぞれの家族の誕生日の際に、大抵サプライズパーティーを行い、その様子を動画にアップしたりしています。
家の中を風船で飾り付けしたり、プレゼントや手紙を用意したり。特にコサックたちの誕生日動画では、成長を感じて、観ていて思わずうるうるしてしまうこともあります。
そんな感動動画を観ていて、心の汚れきっている私は、とあることを思いました。

子どもの頃からサプライズ慣れしてたら、すっごくいい人生送れそう…。

サプライズ“慣れ”とか言うとひねくれてて嫌ですけど、いや、私サプライズってめちゃくちゃ慣れが必要なことだと思うんですよ。
自分語りになってしまいますが、私はサプライズを素直に喜べない人間です。
なぜなら、私は小さい頃にサプライズされたことがないからです。

私は一人っ子で、父と母と3人で暮らしていました。2人には愛情をかけて育ててもらったと思うし、とても感謝しています。
家族の誕生日には、おめでとうと言って、ケーキを一緒に食べていました。私の家族には基本的にプレゼント文化がなかったので(余談ですが、「サンタさんは架空の存在」ということを前提として育てられたので、サンタさんが来たこともありません)、それが誕生日の全てでした。ですが、私はそれで不満を感じたことはありませんし、私にとってはそれで十分幸せで楽しいものでした。

あるとき、学校の友達からサプライズをしてもらったことがありました。
具体的に何をしてもらったのかはよく覚えていませんが、ただ覚えているのは、その当時の私がそれを“正しく”喜べなかったということです。
「え、あ、ありがとう」とぎこちない感謝を述べつつ、引きつった笑いを浮かべるのが精一杯でした。
決して少女だった私は、サプライズが嬉しくなかったわけではありません。
サプライズされたことがないので、どうやって喜べばいいのかわからなかったのです。

サプライズに慣れが必要というのはこういうことです。
慣れてないと、いざされた時に素直に喜んで相応しいリアクションをとることができないのです。

再三言いますが、私は両親にサプライズをして欲しかったわけではありません。むしろ私はサプライズされたくない派です。カジサックファミリーのサプライズは本当に素晴らしくて心温まるものですが、私自身はサプライズされると恥ずかしくなって「そっとしといてくれ…」と思ってしまいます。
でもそれってすごく申し訳ない気持ちになるんですね。
せっかく私のことを思ってサプライズしてくれたのに、素直に喜べなくてごめん…。プレゼントに対していいリアクションが出来なくてごめん…。大人になってだいぶ学んだけど、それでも私、喜び方があらかじめインストールされてなくて…嬉しくないわけじゃないの…。
なんなら私はプレゼント耐性もとても低いので、ただシンプルにプレゼントをもらっただけでも「ありがとう〜!」を適切な温度感で言えているのか不安になります。

子どもの頃からサプライズを経験していないと、サプライズをしてくれた相手の好意を素直に受け取ることができずに、どういうリアクションをしたらいいんだ…?というプレッシャーに苛まれることになるのです。
なので、家族の好意を全力で受け取って、自分から与えることもできるコサックたちは、めっちゃくちゃ素敵な人生を送れるんだろうなぁと思います。

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