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うちのねずみが母親の葬儀でやらかした理由2

夫の親は老後の生活を子供達に負担がかからないように
かなりの預金も残していると聞いていました。
お墓もあるし、戒名も用意しているし、葬儀費用も準備していると
言っていましたから、老人ホームに係る費用は当然預金から
出ていると思っていましたが、
母の症状が余りにも悪化しているので1度大学病院で見て貰いたいと
次男に言うと
お金もかかるしホームにいる内科の先生で十分だと言われたので
私がその先生に会うことにしました。

結果、認知症が進んでいるし軽い脳梗塞もあり
その治療はしているから他の病院に行く必要はないと言われました。

私は次男の【お金も係る】と言われたことに?と思い
次男に「お義母さんの蓄えからホームの費用とか賄っているでしょう」と
聞くと
「そんなん無いし、費用は俺が出しているので大変だ」と言いました。
お金の甲斐性が無い次男にそんなお金が出せる訳がないし、
もし、そんな事態で有れば
絶対に夫にも負担をしろと言ってくるはずです。
(昔から他人に奢らせても、自分がお金を出すことは絶対に無い人です。)

後日夫と2人でホームを経営していて内科医として隣接する医院に
足を運び先生に話を聞きました。
そして聞かされたことは
母親は住所が老人ホームに移されており、年金のみの
低所得者扱いで月に5千円の支払いだそうで結構な補助金も出ているとかで
ホームに預けている年金で費用を賄っているそうでした。
義弟夫婦は1円も負担していないと言っていました。

どうして、そんな噓をついたのか……

そして、遂に夫の溜まりに溜まった怒りが爆発する事件が起きるのです。
それは母が亡くなる半月前に起きました。

私達が12月28日の夜外交の仕事から帰った翌日の事。
3ヶ月ぶりに母親に会いに行くと、
窓口で
「今はインフルエンザが流行っているので面会は出来ない」と
言われました。
仕方なくその後は電話で様子を聞くことになりました。

年が明けて10日位して、面会出来ます。と言われたので
直ぐに夫と向かいました。
部屋はトイレ洗面所付きの8畳位の広さで
陽当りも良い清潔な環境です。
ベッドに横たわる義母の顔は全く生気がありませんでした。
そこで聞かされたのは半月前(12月半ば頃)
母親が肺炎に罹ったこと、
それ以来食事が自力で出来なくなりずーっと点滴で命を繋いでいる事
初めて聞かされたことで、驚きました。
眼を覚ました母親に「お母さん私が分かる?」と言いうと
小さい声で「分かる」と返事が。
後日、長男も会いに行ってくれたようです。
毎日様子を見に行きました。
ある日点滴をしている時に行き、見ると速度が余りにも早いので
高齢だし心臓も弱っていると思いましたので
速度をもっと遅くして欲しいとお願いすると
Yさんが来て「先生の指示でしているので出来ません!」と
きつく言われました。
その時夫は来ておらず私一人でした。(もし夫が居いれば大変な事になっていたでしょう)
それまで腹に据えかねる事が有っても
母親に何かされないようにと思い辛抱していましたが
1,2月は仕事を休めるので母のそばで付き添う事も出来ますから
私も「先生に会って言わせて貰います」と強くいいました。
すると、慌てた様子で部屋を出ていき、直ぐに戻って来ると
点滴の落ちる速度を落としました。
そして、速度をゆっくりにすると傍に付く時間を取られて
大変だと、怒った様に言われました。
私が見ています、と言うと「○○さんは手を良く動かすので注射が
抜けない様に見守るのは我々の仕事なので結構です」と言われました。

で、何日か過ぎたある日足でもさすって上げようと
布団をめくるとパンパンに成った足が…
実の両親も義父も看取ってきた私には、この状態になると
死が近いのは知っていましたし、
そうなると必ず導尿カテーテルで正確な尿の出方を量り
身体に溜まった水分を排出しなければなりません。
居合わせた介護職員に導尿カテーテルは無いのか聞くと
「ありません。」と返事が返ってきました。
直ぐに夫に連絡すると、早く然るべき病院に入院させるように話をしろと
言われたのでその旨ホームに伝えると
先生に相談します。と言われました。
翌日電話で聞くと、
家族の方も、このままで良いと言っているし受け入れてくれる
病院もないので、と言う返事でした。
家族は次男夫婦で私達は只の身内なので関係ないと言う感じでした。
それを聞いた夫は怒りました。
今にもホームに怒鳴り込んで行きそうな勢いでしたので
止めましたが、それなら直ぐに次男夫婦にホームの近くにある
パチンコ店の駐車場に呼べ!と言うことで
次男に電話をして私達も約束の場所に行きました。
夫は2人を車の後部座席に座らせると
理路整然と?怒鳴り始めました。
今までして来た親に対する仕打ち、現在の対応のわるさ、等
40分位怒り続けました。
義妹は泣いていましたが、可哀想になった私がくちを挟めば
夫の性格から、
怒りの火に油を注ぐ事になるのは火を見るより明らかでしたので、
トイレに行くと言って外に出て、次男夫婦と仲が良い
3男に電話を掛け事情を話し直ぐに来るように言いました。
しかし、来た時には話しは終わっていて、
3男も母の事については次男と同じ意見だと言い、又
救急車を呼ぶとお金がかかると言いました。
それを聞いた夫は3男の襟首を掴み
「お前ら金とお袋どっちが大事なんな!」と
激怒しました。
人の目もあるし必死に止めた私でしたが、
温厚な3男は(気が長くて人を怒らせる事が無いので、暴力を振るわれる経験が全くありません)
今までそんな兄を見た事がなかったので
驚いて顔が真っ青になりました。
「お前ら許さんぞ」と言い残して
直ぐにホームの先生に会いにいきました。
夫の剣幕に先生も直ぐに病院の手配をします。と言いました
その日のうちに行き先が決まり(受け入れ先が無いと言っていたのに)
私は母の部屋に行きました。
2月の寒い日です、
車椅子に乗せられた母親は寝間着のトレーナー上下だけです。
暖かい上着を着せようとロッカーを開けると何もありませんでした。
衣装持ちの母親は沢山の衣服を持って来ていました。
驚いて聞くと、何日か前に弟夫婦が持って帰ったとの事。
亡くなる前提でやった事だと怒りで身が震えましたね。
辛うじて残っていた毛糸の肩掛けを掛けて上げました。
いざ、ホームの車に乗せようとした時トラブルが起き、
車椅子を乗せるリフトが故障したとかで代車が来るまで30分位寒い玄関前で
待たされることになり、怒る私の顔を見た職員が
「直ぐに行けると思うので先に行って下さい」と言って来ましたが
無視して、その後代車と共に受け入れ先の病院に行きました。
雪がちらつく寒い日でした。

その日の内に血液検査などして担当医に呼ばれて話を聞くと
非常に悪い状態で手の施しようがない、ここまで悪くなっては
高齢だし1週間持つかどうか…と言われました。
でも、その時の母親は顔色も良くなり目も大きく開いて
ベッドの周りを動く私をずーっと目で追っていました。
「お母さん大丈夫、ここに居るからね○○も傍にいるから」と言うと
近くで新聞を見ていた夫にも目を向けていました。
導尿カテーテルも入り、足の浮腫みも少し治まり、
少しは楽に成ったようでした。
翌日には親戚の人達にも会え、義妹も遠くから帰って来て
皆に会うことが出来て良かったと思います。
私達は毎日行っていましたが、次男に
「義姉さん、ありがとう。後は俺たちが見ているから、帰ってよ
何かあれば電話するから」と言われたので帰りました。
翌日の午前5時前に次男から電話があり
「今、病院から危篤だから直ぐに来てって電話があったから
自分達も今から向かうから、兄貴達も来てよ」と言われ
慌てて母の元に駆けつけましたが、亡くなった後でした。
夜中の事でもあり見回りの看護師さんが見た時は
殆んど息をしていない状態だったようです。
眠っている様な安らかな母親の顔を見て、夫は
「敵は打ってやるからな」と泣きながら言いました。
それが母親のお通夜での
「この人殺し」という事になったのです。

見出しの写真は和歌山の紀北パーキングエリアです。
まだ新しい木の香り漂う山の中にある静かな所です













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