新卒先も、転職先も辞めてしまった会社員が約100ヶ国で旅しながら暮らす海外ノマドになるまでの一部始終
きっと初めましてですね!ルイス前田と申します。「外国人ですか?」「ハーフですか?」と聞かれますが、顔を見ていただいたら伝わる通り、しっかり日本人です。
本名は「前田塁」と言います。八村塁選手と同じ名前です。
ルイスと名乗ったのは大学生の時に参加したニューヨーク留学がきっかけです。
英語もカタコトで記憶を飛ばしながら何とか留学生活をこなしていた僕とすごく仲良くしてくれたルイス・ロドリゲスくんの家に行った際に名付けてもらいました。
「ルイか!それなら、お前もルイスだな!うちの子供になったと思ってゆっくりしてってくれ!」とロドリゲス家のお父さんに言われて以来、ルイス前田と名乗っています。
ちなみに、本名の由来は「海外でも通用するように、英語で名前をつけた」そうです。
いま、記事を書きながらメキシコ🇲🇽に滞在中ですから、名前の力ってすごいですね、父さん。
うち、アトランタに転勤するかも
海外を転々としながら暮らすノマドをはじめて10年が経ちます。日本生まれ日本育ちの僕が「海外」を初めて意識したのは父親の転勤でアメリカのアトランタに行くかもしれないと相談された瞬間でした。
父は転勤が多い仕事だったので、京都で生まれ北海道→大阪→三重と日本国内で引越しを繰り返していました。
子供ながらに仕事だし仕方ないなと受け入れていた小学校3年生の時に「もしかしたら、アメリカのアトランタに転勤するかも」と両親から相談されました
「どこだよ、アトランタ」と思った方。僕と同じ。アトランタオリンピックが1996年に開催してるので、うっすら聞いたことある人は同世代以上だと予想します。
今でこそGoogle Mapで調べて「あー、アメリカの東の方なんだ」くらいは分かりましたが、当時のルイス少年は「おお、まさかアメリカに行くんか。さすがにビビっちゃうな…」とまあまあ後ろ向きでした。
結果的に、仕事の都合でアトランタ転勤は実現しませんでしたが、日本以外の国で暮らすことを意識した瞬間です。
ちなみに、アメリカには何度も訪れているのに、アトランタには行ったことありません。きっと縁がなかったんでしょう。逆に、いま行きたいアトランタ。
世界一周しちゃえば?
アトランタ事変のあとは大きな転勤がなく、三重県で末長く暮らしていました。高校を卒業して、いよいよ受験シーズンを迎えます。
東海地方では「神」と崇められる「名古屋大学」を目指して勉強している前田少年は、赤本コーナーの隣の旅行本コーナーで「WORLD JOURNEY」と出会います。
帯を見てください。「世界一周しちゃえば?」ですよ!本当に名大(名古屋大学のこと)でええんかなー。上京するのもちょっと気になるなー。でも、友達はみんな名大目指してるしなー。
なんてうっすらと自分の進路を考え出した18歳に、世界一周しちゃえば!
多感な少年は決意します。「よし、将来は世界一周しよう!ハネムーンで」
というのも、WORLD JOUNEYの著者である高橋歩さんは、奥さんのさやかさんと二人で世界一周していたからです。
今でもWORLD JOURNEYを読んだ時の衝撃を覚えてます。同世代の旅行好きたちはみんな読んでました。まごうことなき、世界一周のバイブル。
ちなみに、2015年に情報をアップデートした新装版が出たんですが、制作に協力する機会をもらいまして、めっちゃ嬉しかったです。
聖書に後書きした気分でした。
あー、そうですね。厳密には違うんですが、休みといえば休みですかねー。9月に復学してもらえたら
浪人生活を経て、名古屋大学には行かずに、東京の大学に通うことを決めました。1年生は「ザ・キャンパスライフ」を楽しみ、東京にも慣れてきた頃に「交換留学」を目指していました。
仲良くなった友人たちが優秀な人ばかりで触発されたことがきっかけです。WORLD JOURNEYの件も、今回も、前田少年はかなり影響を受けやすいタイプ。
そして、ギリギリで希望していたニューヨークの大学への留学も決定してからふとスケジュールがおかしなことに気づきます。
アメリカの大学は秋学期→春学期。日本の大学は春学期→秋学期です。交換留学はアメリカの通年に合わせて秋学期(9月)から始まり、春学期が終わる5月で終了です。
一方で、日本の大学って春学期(4月)から始まりますよね。アメリカから帰ってきたら、とっくに始まってます。
「途中から日本の授業に参加する方法があるんかな?」と思って、学事センターに聞きに行くと「復学は秋学期(9月)からになります」との回答です。
ルイス「え?つまり、アメリカの大学が終わった5月から9月までは、何もできない。授業にも行けない。つまり、休みってことですか?」
学事の人「あー、そうですね。厳密には違うんですが、休みといえば休みですかねー。9月に復学してもらえたら」
見出し回収です!特大休暇が現れた!あなたならどうしますか?5月の途中で交換留学が終わって、9月の頭に日本の大学に復学するとしても、3ヶ月は余裕であります。
世界一周しちゃえば?
これしかないですよね!出国→交換留学→世界一周→帰国&復学の完璧なスケジュールを閃きました。めっちゃ鳥肌立ちました。覚えてます。
しかも英語も話せます(希望的観測)し、海外生活にも慣れてますし、世界一周の出発地点がニューヨークからって、いい感じです。
いつかWORLD JOURNEYで読んだ物語のように、世界一周ハネムーンをする下準備として、とりあえず行けるところまで行ってみよう。
そう決めて、旅立ちました。
夢だけど、夢じゃなかった!
思わぬタイミングで、思わぬチャンスを経て、世界一周を実現。留学と世界一周を合わせて、ピッタリ365日間でしたが世界が広すぎて広すぎて。
行きたいところに全部行く!のつもりでルートを組んだはずなのに、旅人たちから聞く体験談や噂のおかげで、世界一周前より行きたい場所が増えてました。
そして、衝撃だったのは世界一周ハネムーン中の旅人たちに出会ったことです。リアルWORLD JOURNEY。
写真左のお兄さんがトルコで出会った生駒ご夫婦の旦那さん。右がルイス。Webデザイナーをしていてかっこいい。奥さんとも仲良し。ハネムーン。
本当に夢みたいな世界一周してる人いる!!と思って、話しかけたらめっちゃ仲良くしてくれました。僕のブログのヘッダー画像もチャチャチャって作ってプレゼントしてくれて「大人ってこんなにすごいんだ」と感動。
「世界一周ハネムーンの夢も達成していないし、会社員になってもまだまだ旅を続けたいなぁ」
「でも、どうすれば?海外転勤の他に方法あんの?とりあえずは、海外で仕事する可能性がある会社に入るか!」
ということで、就職活動を通して縁のあった大阪ガスに入社を決めます。
世界一周のムーブメントを日本に
日本に帰ってきて、大学四年生の夏。世界一周があまりに楽しかったので、旅を通して知り合った大学生たちと世界一周団体TABIPPOをスタートします。
TABIPPOは旅(TABI)と一歩(IPPO)を掛け合わせた造語で「世界一周のムーブメントを日本に。一歩踏みだすきっかけをあなたに。」をテーマにSNSでの発信と旅イベントの開催をメインに活動していました。
少しずつイベントの規模を大きくしていって、集大成として勝負をかけます。「日本最大の世界一周イベントを開催すれば、ムーブメントのきっかけになるはず」と信じて、2011年3月10日に1300人を動員して「TABIPPO2011」を開催します。
学生だけでお金を集めて、人を集めて、何とか当日までこぎつけたので、打ち上げでめっちゃ泣きました。運営メンバーもみんな泣いてました。
打ち上げから家に帰って泥のように眠り、ぼんやりと起きた頃、東日本大震災が起きました。
昨日はお客さんでいっぱいだったイベント会場は、避難場所に指定されていました。
向いてないなぁとは思ったんだよね
震災からあとのことはよく覚えていません。日本中が混乱している中、気づいたら大学を卒業していました。
世界一周のムーブメントが起こせたのかどうか。結果を見ることはできないまま、大阪での社会人生活がはじまります。
大阪ガスは同期も先輩たちもみんないい人で、会社も安定していて、仕事も定時に上がれる最高の職場だったはずですが、1年で退職してしまいます。
最も大きな退職の理由は「海外勤務ができるかどうかは会社の都合で決まる」と今さら分かったからです。
運よく「英語話せる、海外経験ある人枠」で採用してもらえたので、海外勤務へ一直線だと思い込んでいたのですが、当時の大阪ガスでは海外駐在は相当早いタイミングで30歳からでした。
最速で8年。しかも確証はない。もし、チャンスを掴めなかったら、そこから転職して海外に行けるだろうか?いや、たぶん無理だな。
就職活動をちゃんとしている人なら当たり前のように考えていたキャリアプランをスルーして「まあ、ええか」で入社を決めた僕が100%悪いです。
面接では留学と世界一周の話しかしませんでしたから、目の前30cmくらいしか見えてませんでした。
「挑戦するなら誰かに進路を任せるんじゃなくて、自分の力で勝ち取りたい」と退職の意向を固めていた秋頃。深夜1:30に電話が鳴ります。
発信元はTABIPPOの代表。これ出たら、壺を売られるんじゃないの?
男13人で恵比寿に住む
壺売りではなく、転職の誘いでした。勤めている広告代理店でSNSの新規事業部が立ち上がるが、とにかく人がいないので来ないかと。疑ってごめん、しみなお。
「とりあえず、面接させて!」と新幹線に飛び乗って、案内された部屋に入って話をして出たら内定が出ました。
これが広告代理店のスピード感!とビビった上に「本当にうちに来ていいの?ご両親は大丈夫?大阪ガスの方がいい会社だよ?(意訳)」とめっちゃ止めてくれたことに安心して入社を決めました。
大阪ガスに「広告代理店に行きます」と伝えたら、ものすごく複雑そうな顔をされたのですが、せっかく採用しれくれたのに何もせずに辞めたので、申し訳なさでいっぱいでした。
なお、退職金はありがたくいただき、引越し費用に充てました。
引越し先は、通称「恵比寿ハウス」と呼ばれる、男だらけのシェアハウスです。
最初は6人で住み始め、世界一周から帰ってくる友人たちを次々と迎え入れていたら、最大瞬間人数で13人まで増えてました。
過酷な仕事をやり切れたのは、本当に恵比寿ハウスのおかげ。
25時15分の終電にダッシュする日々
ほぼ新卒、広告代理店、新規事業のトリプルコンボで、毎日終電ダッシュ。あまりに仕事が終わらなすぎて、24時過ぎたらももクロの「ワニとシャンプー」を歌いながら仕事してました。
仕事はSNSを使ったマーケティングのコンサルティングです。新卒2年目なのでペーペーもいいところでしたが、当時はSNSマーケの経験がある人がほぼいない時代です。
100社以上のクライアントを持たせてもらって、仕事はとても充実していました。
特にTABIPPOでTwitterやFacebookを使ってイベント集客をしたことをとても評価してくれて「自分が好きでやってたことって、仕事になるんだな」とはじめて実感しました。
TABIPPO、まさかの会社になる
立ち上げメンバーが会社員となってからも、TABIPPOは学生メンバーが中心となって運営されていました。
「これから、TABIPPOどうしようね」という話が少しずつ出始める中で、転機が訪れます。
TABIPPOで本を出しませんか?二冊同時に
出ちゃいました。しかも、しっかり売れました。実はTABIPPOはずっと利益無しで運営していたので、はじめて「趣味が仕事に」なりました。まとまった売り上げも入った。
「もしかして、TABIPPOで食ってけるんじゃない?」誰からともなく、そんな話になり、立ち上げメンバーのうちの3人、清水、小泉、ルイス前田が会社を辞めて、株式会社TABIPPOの創業メンバーとなりました。資本金は書籍の売り上げです。
TABIPPOを仕事にするきっかけをくれた、いろは出版さんにはとても感謝していて、その後も書籍や写真集、手帳やノートなどたくさんの商品を一緒に作りました。
日本トップ15の旅行メディアを作る
いまスクショを撮ったら、すんごいビッククライアントとのタイアップ記事が表示されてビビってます。TABIPPO.NETというオウンドメディアの編集長と、各種SNSアカウントを担当していました。
在任中に担当した記事は8000記事を超え、「観光」を含む検索からの流入先ランキングでは日本で14位を記録しました。
個人で世界一周ブログをスタートした頃から考えると、錚々たるメディアに並んでランクインできたことがとても嬉しかったです。
メディア以外にも、旅の野外フェス「旅祭」や企業とのタイアップ企画、旅行関連の書籍や写真集の出版、旅人のための人材紹介サービス「旅人採用」など多角的に展開し、少しずつ旅する文化を広めていました。
踏み出せない理由は「お金と仕事への不安」
どんなに旅の魅力を伝えても、それだけでは一歩踏み出せない人たちがいると分かったのはTABIPPOを起業して、5年が過ぎた頃でした。
理由は「お金と仕事への不安」
こんな風に考えている人が一歩前に踏み出すためには、もっと生々しいアプローチをした方がいいのかもしれない。
TABIPPOが総勢15名を超えてすでに立ち上げの段階を過ぎていたことや、メディア運営も安定してきていたため、まずは業務を週3に減らしました。
TABIPPOを退職したら、何ヶ月か世界を旅してから、新しいことをやろうかな。
そう、考えていたこともありました。
退職、コロナ、仕事飛ぶ
いざ退職!コロナ直撃!仕事が無い!
もちろん、旅行業界をはじめTABIPPOがものすごく大変なのは想像できますから、辞めた身として今さら戻れません。
退職前に決まっていた仕事はほぼすべてが無くなりました。幸いにも、今の妻が「一緒に住んでもいいよ」と言ってくれたので、生きていくことはできました。
数年後に当時の月収について知った妻はドン引きしてました。マジで助かった。ありがとう。
とりあえず、生活費を稼がなきゃいけないので、何でもやりました。
・毎日ブログを更新して広告収入を得る
・YouTubeブームが来たので、動画編集をはじめる
・先輩の会社からWebマーケのコンサルとして発注してもらう
数少ない旅行関連の仕事として「旅人エンジニア留学」という英語+プログラミング学習ができる留学をオンラインで開催しました。
相方はTABIPPO時代にライターをお願いしていたKOHさんです。
>>バンコクの不動産チェックでプールの水を飲む
>>孵化直前の卵「バロット」を全種類食べると夢が叶うと聞き食べてみた
>>ベトナムの鉄板お土産「コーヒー」で、髪は染まるのか?試してみた
などで「天才」であることを確信してましたが、プロジェクトの運営においてもとても相性が良かったので、次はKOHさんが住むジョージアでなんかやりましょう!と約束しました。
コロナ禍ど真ん中で海外ノマド体験「ノマドニア」をスタート
しかし、日本は非常事態宣言中。かなり迷いましたが世界一周やワーホリ、留学などが無くなり途方に暮れた人たちがあまりに多かったこと。
ワクチン接種などが進み書類があれば出入国できることを踏まえて「ジョージアでノマドニアをやる」を決定します。
ノマドニアは世界6都市で開催している海外ノマド体験です(トップページの挙動がかっこいいから、ぜひ見て)
スクールではなくワークショップ。夢中になれる仕事はやってみないと分からない。ということを大切に、海外に1ヶ月間滞在して、10種類のリモートワークを体験しつつ、ノマドとして暮らしてみます。
人は集まるのか。無事に開催できるのか。何事もなく終われるのか。心配は尽きませんでしたが「やってみたら」うまくいきました。
今ではジョージア🇬🇪、バリ島🇮🇩、バンコク🇹🇭、チェンマイ🇹🇭、韓国🇰🇷、メキシコ🇲🇽の卒業生は合計300人を超えました。
「英語があまり話せませんが、ノマドになれますか?」
「会社員の経験がありませんが、ノマドになれますか?」
「PC業務の経験がありませんが、ノマドになれますか?」
どんな背景を持つ人たちでもノマドになっていきました。同時に、ノマドニアを経験した上で「ノマドを選ばなかった」人もいます。
僕たちはもっとわがままに生きていい
ノマドニアに参加したからって、ノマドにならなくていいです。
良い大学を卒業したからって、良い会社に入らなくていいです。
日本人に生まれたからって、日本に住み続けなくてもいいです。
僕たちはもっとわがままに生きていい
場所に縛られずに、ここではないどこかで暮らしたくなっていたら、まずはノマドニア公式サイトからLINEに登録してください。LINE限定のコンテンツも色々と用意しました!
ノマドニア公式サイト
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