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サンハーン・キ・カーンのこと

実は私、乗物に弱いのです。
車にメロメロじゃなくて。乗り物酔いしやすいということです。
「乗物酔」という競技があるなら誰にも負けないと自負できます。(するな)

例えば、バスに普通に乗り動き始めて10分程度で、も体の奥から異和感の芽が出てくる。
乗物酔いしやすい人は、内耳の奥にある三半規管が乗物の揺れなどによる刺激に過敏なのだそうだ。
私の周囲で乗物に弱いという人をあまり見かけない。家族ですらそうだ。
それにしてもメリーゴーラウンドや公園のブランコでも過敏反応するのは穏やかではない。

私には何か特別な能力があるのだろうか。
サンハーン・キ・カーンは、私に何をさせようというのだろうか?

その起因は私の幼少時代に始まる…
5才ころから小学校終了まで、私は風邪をひくとオマケのように中耳炎を罹っていた。
毎週、病院へ行くたびに耳の中になんらかの薬剤を注入され、吸入をし、片栗粉みたいな粉薬を処方されていた。
やがて成長して少しは自分での健康に留意するようになったからなのか
中耳炎になることは、めったになくなった。
ただし、置き土産が残る。それが「乗り物酔い」
サンハーン・キ・カーンは、なんらかの進化を遂げたのだろうか。

専用の酔い止め薬を使えば酔わずに済むようにもなり
旅行やバス遠足は事前対策できたとしても
通学が毎日スクールバスという運命は避けられなかった。
だからバスに乗ると私は、おとなしくなって
窓にへばりつき遠くをずっと見ていた。
それでなんとかやり過ごせた。

でも冬場は、放課後のバス待ち時間を汗をかくほど雪まみれでんだ子どもたちと車内の暖房で窓は一気に曇る。冷え込みが厳しくなると、それもみるみる凍っていく。
バス前面の窓以外はみーんな曇りガラスw
ひたすら目をつぶり、胸の中にある悪の種を発芽させないように必死で抑えつけていた。それでなんとかこらえられたけど、時には半分気を失ったこともある。
思えば貧血癖もそのあたりから始まっていたのかな…

札幌でひとり暮らしていたときは、そのころに比べ、いくらか耐性はできていたけど、学校から徒歩数分の部屋に住んでいたこともあり毎日乗物にいじめられることはなかった。
でも決して克服はできていない。

就職内定の会社は、公共交通機関の乗り換えで40分強。これは耐性の弱くなった私に充分すぎる致死量かもしれない。
バスは窓にへばりついて景色に集中していれば、なんとかこなせるにしても
問題は地下鉄。すべて闇だ。それにけっこう揺れる。
この区間をすべて自転車に置き換えるのは無謀だ。
しかし毎日、行きと帰りに薬を飲むのわけにはいかないよな…

あ…

妙案が浮かんだ。

その名も「ザ・引っ越し」 

リフレッシュと称し、物件を探す。
見つけた所は徒歩圏内とは行かないまでも15分圏内バス1本のみときた。

これでハッピーライフが始まると安堵したところ
諸事情で1年待たずに離職。
その後、何かをやろうとしてフリーター生活(徒歩圏内)となりましたが、
人間関係で頓挫(いろいろありましてなw)
一時故郷へ退き兵力を増強し再び都へ攻め入る所存!

でなくて

地元就職を模索。
北海道の地方都市は札幌のように交通機関が充実しておらず
一定の郊外居住だと自家用車通勤が必須。
就職に関しても普通車運転免許証がなければ採用されても
実業務に支障ある地域事情なのです。

私もライセンス取得。
それで人生最大の発見があったw

運転する人は乗物酔いしない!

これを私は『運転者不変の法則』と呼ぶ(権限はない)
もしバスに乗って気分が悪くなっても運転をかわってもらえば
回復するということだ(無理)


でもねー運転する前に酔ってたらダメなんだよー
(北海道)警察のHPに通報箱もできてるようですから。


今夜、忘年会なんだけど、帰りどうしようかな…
タクシーや運転代行サービスを使うと大切な諭吉さんが消える。
さよなら諭吉さん。 ブラボー諭吉さん。 
いつか必ず私の元へ帰ってきてくださいね。
私は、英世さんと待ち続けます。次のお給料日まで… 再見w

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