働かなきゃいけないってわかってるけど、※一部有料
やりたくないことなんだよな。
私の働くの定義はバイト(フルタイムはもう諦めてる)ですが。それも時々猛烈に嫌になる。
もう働かなくていいよって、許されたら、
どんな気持ちになるんだろう?
わかってるけど、やりたくないことがある人のヒントになれば幸いなエッセイです。
もう働かなくていいよ、って許されたら
どんな気持ちなんだろう。
頑張って働いてる人に申し訳ないという、
受取拒否も出るんだけど、
………
うーん、
本当の本当に許される現実が叶ったら
ーーーーーーー
なかなか想像するのは難しいですね。
健康体で、運動する体力もある若者なのに、
働かない方が勿体無い気がするのは、わかるんだ。
でも、なんか嫌なのよ。
さあ、もう一回、想像してみてほしい。
もういいんです。
もう自由を選んでもいいのです。
もう我慢も、誰かのために生きることも、もうしなくていいのです。
自分の幸せを自分で許していいんです。
もう嫌なことは自分のやることリストから消してもいいのです。
だってそれを喜んでやりたい人の機会を奪ってる傲慢さとも、言い換えれるのが我慢してやるの裏側です。
10年後も、
この「働かなきゃ」を持ち続けてたら、
どうなってると思いますか?
私の場合は、たぶん変わらず、
結局働くは達成せず、
でもずっと出来てないとばつをつけて、
自分を苦しめてばかりのままな未来しか見えなかった。
それでも、この「働かなきゃ」を握り締め続けますか???
一つは、働くの定義を変えれると、嫌感は減るかも
どこかのお金持ちになる方法みたいな本に書いてあった。
稼ぐ=誰かを笑顔にした対価
と定義していた。
楽しいことは好きなので、
自発的なことなら、私は稼ぐは好きですね。
多くの人を笑顔にした分だけ、もっと稼げるみたいな話もありました。
バイトは店長とかだけ喜ばせてるから、最低賃だけど、
YouTubeとかは、世界中無限に人を喜ばせれるから、収入は青天井みたいな感じかな。
あなたの働くは、何が嫌だから、苦しいんですか⁇
もう一つは、働けと自分で自分を追い込むの手放せたら、視野広がるかも
働け鞭から、解放されたら
ゆるっと力抜けたままで、スイスイやりたいことが出来ていく。
この感覚を味わったことはあるはず。
私の場合は、カフェ行って、
いい椅子と美味しいものと、心地いい空間に包まれるだけで、
体の緊張が取れて、〇〇しなきゃ沼から少し視点を引いて多角的に考えたり、次やりたい面白いアイディアも出てくる。
その上、メモ一個分はちゃんとnoteに昇華できる原稿も完成してたりする。
体の方が案外正直に、心の声よりも、
無意識が反映される気がする。
だから、最近力んでるの、たぶん、何かやらなきゃって鞭打ってるから、かもしれないね。
失業予告+建前を作らなきゃいけない付き合いが師走になぜか立て込んでしまってて。
ここしばらくは、
自分の時間が取れてない感じも、
力みを加速させてるのかもしれないね。
よし、一旦手放してみよう。
働くから自由になってみよう。
今夜くらい、手放したって案外困らない。
「今」に戻って、
ゆったりと息をしてみよう。
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