ダンではないポーズ

おととい、ギャラリーIHAのトークイベントで木村松本のお二人のトークがあった。

申し込みから少し日が経っていて、ふと思い出したので、
ご飯を食べながらラジオのように聞こうと思っていたところ、
想定以上に面白くて、ついつい熱い思考をめぐらしながら聞いていた。
もちろん片手にビールと枝豆を持ちながらだけど。

お二人の、それぞれの姿勢は、
特段強い言葉で表現されるものではないけれど、
重みがあって、実感が伴った丁寧な言葉だと思った。

「house A」が主題だったものの、
はじめに旧作を通して「構え」のことから話してくださり、
木村松本の基本となる考え方が理解できた。
そして、「house A」の動画を見る。
https://www.youtube.com/watch?v=JaqRQ-t7PdY
すると、以前この動画を一人で見ていた時と違って、
「おおらかだな」という印象がまずあって、
この街の在り方みたいなものが頭に浮かび上がった。

何かが答えと一対一対応してしまうことに対する危機感について触れ、
それに対してゆるいつながりを持たせておきたい
「雑の保存」という言葉を使って、近作について話してくださった。

木村松本のお二人が使う言葉は、そこまで特異でも派手でもない。
つくっているものもそうで、でも奥行きみたいな謎みたいなものがある。
幾何学として、構造としては簡潔であるにも関わらず、
というかそれらが使われることによって、私たちと建築をとりあえず繋ぎ止めている。

しかし多分、時間が経つにつれて、
住んでいる人にとっての時間の流れのなかで、
幾何学によって一時保存(存在価値として?)されていた部分が解体され、
生活あるいは別のもっと違う何かと融合し変容していくのだろう。

話は変わるが、私は模様替えが好きだ。
実家を出てから8年になろうかというところ、
引っ越しを挟みながらも毎年のように模様替えをする。
前にも書いたかもしれないけれど、毎度ベストな模様替えをしている。

にも関わらず、次の年には、すっかり次のベストが現れているのだ。
本当にそれが不思議で、たまらない。
これは、アパートのポテンシャルなのか、
自分なのか、家具なのか、単なる趣味なのか。

そこには常に、「ポーズ(一旦停止)」のような感覚がある。
当時の私自身には「ポーズ」をしている意識はなく
「ダン?(完了)」なのだけど、結局は「ポーズ」なのだ。

いつかの再生を見越したポーズではなくて、
完了のつもりがポーズであった、というような状況が
私にとっては一番心地が良いのかもしれない。

今が一番大事、とは言い切れないけれど、
いつ何が起こるか想定しにくい今、
大事にしたいのは今夜食べるご飯のことだったりする。