ほのかなアシスト
ちょっと最近ばたついていた
引っ越した
アトリエと住居を別にしてみることにした
その、アトリエをまずはお引っ越し
同じ大学出身だけど実際知り合ったのは一年前くらいの、友人と。
彼女は住んでいて、私は働いている、そんなシェア。
なので、基本会わない
10と22を仕切りに大体入れ違い生活をしている。
人とシェアをするのは久しぶりで、こういう形で会わないシェアは初めて。
と言っても、明日は夜遊ぶ予定でそのままその家で寝るし、会わないルールはないんだけど。
引っ越しをした日、なんだか交換ノートみたいだねという話をした。
こないだ彼女もそう言っていた。
なんだろ、この感覚。
もう、誰かとシェア!ということに対して浮き立つ感情だけがある歳でもないし、でも経済的な感情だけでもない。
お互いに何か新しい感覚を求めてそっと始まった形のようなものかな。
毎朝、なんとなく、これ!!というほどでもなく変わっている景色に、ふむふむみたいな感覚がある。
でもそれは、別に大きく驚いたり、悩んだりするほどではない。
彼女の施した生活へのほのかなアシストが、自分の生活の中でかすかに感じられた時、ぐっとくる。
その感覚が、なんとなく「交換ノート」で味わう楽しさに似てる。
それぞれのサイクルで変わっていくものの配置や形に、ふと触れる時。
コミュニケーションではないシェアの面白さを感じる。
ここでは、二人がとある家をシェアしながら、空気を交換してる。
いや、空気かな。。なかなか言い得難い。。
ありきたりだけど、家がメディウムになってるな〜〜と思う。
映画「わたしたちの家」のことをたまに思い出す。
触れ合いだとか、協力のようないわゆるコミュニケーションとは違う、コミュニケーションしてないシェア。
コミュニケーションを目的としないシェア。
シェアを目的とするシェア。、、?
コミュニケーションだけがあったかさではないと思うから。
切実に職住を分けることだけが目的だったので、今特にこれといったやりたい目的はない。
だけどそこで過ごしていると、いろいろと思いついたり考えたりすることがある。
その1つが伝言ノートだったりする。
それもまだわからないけど、LINEで伝えるほどでもないこと(冷蔵庫の話とか、備品の話とか、、?)を書いてみている。
でもこれは目的じゃない、
目的にしないでいろんなことを日常にしていくためには、どんな方法があるんだろうな。
わりと悩んでる風な文章だけど、本人はだいぶ楽しんでいます。