太田市美術館・図書館

昨日の午後、桐生での仕事でホームセンターに行った。そこから電車で東京に帰る、となったので、帰り道を調べてみた。
桐生からだいぶ走ったな、と思って、少し期待をこめてグーグルマップを開く。

あ、やっぱり、にやり

最寄りは太田駅だった。桐生に通い始めて1年ちょっと、いつも電車から見えていた太田市美術館にやっといくことができそうだ。
ちょうど前日に、図書館について考えていたところだったから、自然な巡り合わせに胸が高鳴った。

あいにくの雨だったので、屋外階段も出れなかったし、ソフトクリームも食べれなかった。。
駅で帰りの切符を買って、建物に駆け込んだ。何も考えず駆け込んだので、それが正面なのか、裏口なのか、全くわからず、入っても全体の地図なんてどこにもなくって、完全に迷路に迷い込んだのだった。

本棚に沿って歩いても果てはなかなかなくて、どんどん上へ上へと導かれる。たまに壁に現れる白い扉を見て、やっとホールや展示室の周りを歩いていることを把握して、だんだんと全体をつかんでいった。


美術館と図書館というのだから、と美術館の方にも入ってみた。小さな箱がみっつあり、外(箱の)に出ながら巡る。正直、展示室は今回の日本画にあっていたのか少し疑問で、ふたつめの展示室が一番難しそうに感じた。どんな展示を予想してつくったのだろう。ライティングの意図を汲みたいと思った。


面白かったのが、クッションを中心とした、椅子の配置デザインだった。

この建物は、斜面が多いため、ホールや展示室の入り口との間に段差がある。

一瞬、自由に使っていいクッションが並べられているのかと思った。

違った、ホールの入り口を勝手に開けないようにするための柵の代わりだった。

とても自然に、段差が ホールへのアプローチ<>床の連続 を行き来していた。
仕上げの違いと段差の末広がりの形状が、意味の行き来を上手く操っていた。あざとくないデザインだな、と感じて、しかもそれがこの建築の大きなボキャブラリー(機能の箱とからまりしろ)にきちんと結びついている。


こういうことは、パースでかけても実践できないことが多い。椅子は結局綺麗に並べられてしまったり、補助的に柵が付いたりする。施設の大きさの割りに職員によく会うな、とは思ったけれど、ちゃんと理解してケアされていた。
特異なデザインに見えるスツールだって、一直線に並べられなかったり、楽しく並べたくなったりするような効果があることをもう一度思い出した。ただのエゴになっていないのは、それらを受け止める器としての建築が、デザインされている(単にシンプルに納めるのではない)からだと思った。

かっこよさのひとりよがりは、建築と中身によって受け止められる