天井の楕円|Arts and Creative Mind Gallery

丸いと言っても、正円、楕円、半円、フリーハンドの円、角が丸い、、、いろんな丸がある。

この一ヶ月にmtkaの村山さんと加藤さんに、二つ作品を見せていただいた。
どちらも比較的小さな空間に、比較的大きな丸がある作品だった。

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天井の楕円は、タイトルとしてすでにキャッチーで、添付された写真も、ダイヤグラムであり空間であった。一息で理解できそうな気さえしていた。
そんなわけで、なんとなく頭にイメージして訪れたが、想定外に実物は、シンプルかつ複雑だった。

片流れ屋根のワンルームに、キッチン、ダイニングテーブル、ソファ、本棚、おもちゃ、地球儀、時計、色々なものが置いてある。
雑然と、ではなく、それぞれの居場所にきちんと座っている印象に近い。
あたかも、元からそうであったように、家族の過ごし方のイメージがついた。

そもそもお施主さんは、この物件を中古で購入したけれど、なんだか居場所がないと感じ、お二人に相談したらしい。
その判断がすぐにできたこと、それを家具の力ではなく、建築の力を借りて解決を試みたことに、お施主さんの魅力を感じた。


その話を聞いてやっと「楕円」のことを思い出す。

視界から楕円を取ると、、、、、
家具が自由に動き出す。

南に向いた大きな開口、そこから入る光は刻々と動く、その度にソファが動く、
それと一緒におもちゃも動くかもしれない
本はもっと散り散りに、いろんな場所で読まれ置かれ、運ばれていく

すっと楕円を視界に戻す。
すると、すっと家具が今の位置に戻ってくるのがわかる。

「自由」というのは、とてもいいようにも聞こえるけれど、「暮らす」ことに対してはどうしても落ち着かなさを与えてしまうようだ。

環境、構造もふまえ選択された「楕円」だが、そのような裏付けがどうでもいいと思えるほどに、家具の配置と人の動きが楕円の挿入の必然性を表していた。

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mtkaの作品には、「潔さ」が漂っている気がしている。

あんなに強い形を挿入しているのに、その形自身に機能がついているのではなく、それ以外の場所に変化を与えている。
今回の場合は特に顕著で、それは室内の状況を見ればわかる。

真っ白に抽象化された楕円は、論理的には一瞬あざとく感じるのだけれど、形それ以外の何物でもないところが「潔い」。


対してギャラリーの方は、あえて「あざとさ」を強調していることで、潔さを保っていた。
シンボルとなる形を作りたかったと言っていたことが、シンプルに表現されている。

どこにも「アーチ型」を選択したことに対する後ろめたさがない。
ファサードでもあり、動線を作る回転するアーチ型の回転壁
アーチ型のテーブル、アーチの輪郭を持った壁面

その形の強さを下支えするのは、ラーチ合板をあえてタイルのように裁断して張った床や、壁面収納の色や高さの設計、そして大工工事ではなく家具工事であることだった。
「ラグジュアリー」と表現されるそれらは、即物性とは全く違う美的違和感を与えている。

「うまいですね〜(コスパ的に)」よりも「綺麗やな〜」が先に出てくることが、魅力だと思う。
あざとさを貫いていて潔い。

自分だったら、途中で後ろめたくなって変更するか、極めすぎてどこかに強調させすぎたラインを引いてしまったりする気がする。
あの塩梅で終わらせることができることが、とても羨ましく思ったとともにめちゃくちゃあざといと思った。

や、めっちゃあざといと思う。全然照れ隠しをしていないところが、めっちゃあざとい。羨ましい。。

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「丸」という誰でも知っている形を、責任を持ってデザインする「潔さ」を感じた二作品だった。

私も潔くなりたい。後ろめたさを持たず、照れ隠しをせず、、それが一番難しい〜〜