ただの2月の日記

2月が始まった。
2月って、一番自分の中で記憶がない。大学生の時は、春休みで予備校で入試を応援したり、のんびり旅行に出たり、脳みその休養って感じだった。社会人になってからは(なっているのかは置いておいて)、半麦の現場スタートや、タンネラウムと会場構成の現場直前、だったみたいで、手元からものごとが一旦離れている瞬間かもしれない。
今年は、一旦1月で色々終わった。3月から新しく始まる現場の準備や、コンペの締め切りにあくせくしている。けど、なんとなく空白って感じで、この一週間は割とぽけ〜っとしてしまった。。

毎年思うけど、2月は他の月よりも2~3日短いだけなのに、1週間くらい短いのでは!?というくらいのスピードで去って行く。多分今年もそうだから、気を引き締めていかないといけない!のだが、な〜〜〜〜

先月は、生活工房に什器を納品した。詳細はまたちゃんとまとめてからにするけれど、本当に生活工房との仕事は楽しい。ゆるいけど、しまっている、理想の団体だな、と毎度思う。初回、突拍子も無いアイデアを投げたら、ちゃんと「それは難しいですね〜」と言ってくれて、要件を改めて練ってくれる。そういうことを何回も繰り返していきながらモノがブラッシュアップされて行く様子は、本当に楽しくて、毎度空回りしているなあ、と思いながらも、自分の焦点が絞られていく実感がある。「共同制作」とはこのことかも、とおもえるやりとりだった。(ここら辺もっと言葉にしたい、)
出来上がり後も(実はあともうちょっと)、フィードバックしてもらって改良を加えられるようなつくりにしているが、それはフレキシブルや、WIPとかそういうのとはまた違った、私なりのコミュニケーションの取り方だと思う。メンテナンスというとシステマティックだな、どちらかというと、別れた彼氏の家に食器を置いたままにしておく、みたいな、少し生温かいものかもしれない。と打ったところで、これは関係者に見られては気持ち悪がられるな、と思ったので、ちょっと違うなと思うし、別に別れてないし。。。

そんな心温まるお仕事を納めたあとは、生まれて初めての論文の審査会というやつに参加した。芸大でいう合同講評会なのだけど、私が働かせてもらっている大学は論文なので、全く空気が違う。しかも今年はフルリモートだから、私以外のみんなも初めてな感じだったのかも。違うか。
70人くらいの論文のプレゼンと講評を一人研究室で「へ〜〜」とか言いながら勉強をしていた。その中の10人くらいは、今年の4月からゼミで見ていて、(と言ってもフルリモートなんだけど)発表練習よりもスラスラと時間内に話す彼らをドキドキしながら見ていた。質疑応答で問われることを聞きながら、「あ〜そこか〜〜」「それは前提が違うくない?」みたいな独り言を呟きながら、なんとか答えるみんなを見守る、というなんだかほっこりな2日間を過ごしていた。
正直、ほぼ会ったことのない学生の卒業をかけた論文発表に対して、こんなにどきどきするとは思っていなくて、驚いた。助手さんってこんな気持ちだったんだな〜、黙って質疑聞いているの辛かっただろうな、先生たちが去った後に助手さんが来てくれて掛けてくれる姿を思い出しながら、そんなセンチメンタル〜な気持ちになったりもした。
終わった後に数人からメールをもらい、ああもっと関わっていけばよかったのかもな、来年はもうちょっとできるかな、とか思ったり、でもここはあまり感情的にならないフィールドと決めておきたいので、ほどほどに、と思うと難しいんだな〜〜これが。自分の中のアツさを思い出してしまっているこの頃。。

そんな何事もセンチメンタルに受け止めてしまう1月が終わり、2月が始まった。

何もしてなくてやばい、と思ったこの土日、嬉しい報告が2つあり、じわっとくるやつで、ちょっと泣いた。
最近自分が何をやるべきなのかわからなくて、(やりたいことはたくさんある、ありすぎる)ずっと落ち込んでいたから、来年まで生きる希望を掴んだような気分。プレッシャーでもあるのだけど、私はプレッシャーで成長するタイプなので。

ゴムボールをぎゅーっと押すと、予期せぬ方向にバイーーーーーン!と飛んでしまうような、そんな感じで生きていくのだ!

今日は賢い文章を書く気にはなれない!スッキリした!