高頻度アルゴリズム取引業者の終わりなきスピード競争

誰にとっても通信速度は遅いより速い方がいいけど、情報の速さで利益を出している高頻度アルゴリズム取引業者にとっては、通信速度は死活問題だ。そういった業者のために、証券取引所間のレイテンシをマイクロ秒単位で減らすネットワークが、数百億~数千億円というお金を使って構築されている。ここではそういうネットワークについて書いてみよう。

いつの時代でも、証券取引の参加者にとって、他の証券取引所の状況をいち早く知ることは重要だった。他の人が知らない取引状況を知っていれば、それはある意味ちょっとだけ未来を知っているのと同じようなもので、わずかな時間とはいえ有利な売買ができるからだ。そのために昔から市場参加者は伝書鳩や電話などあらゆる方法で早く情報を得ようとしていた。とはいえ、人間がすべての注文を出していた時代は通信速度を極端に最適化してもあまり意味がなかったが、コンピュータを使ったアルゴリズム取引が一般化すると、1ミリ秒でも早く情報を知りたいというニーズが高まってきた。

その需要を受けて2010年に登場したのがSpreadという会社の光ファイバネットワークだ。Spreadは秘密裏に数年かけてNYとシカゴの証券取引所を結ぶ新たな光ファイバを敷設して、それまで片道14.5ミリ秒かかっていた経路を13.1ミリ秒に短縮することに成功した。既設の光ファイバは鉄道の経路などに沿って敷設されていたので、わずかに遠回りだったのだが、Spreadは地形等を無視して、ほぼ完全に直線経路で光ファイバを敷設したのだ。たったの1/1000秒程度しかレイテンシは削減されておらず、高頻度取引以外にはほとんど意味がない事業だが、そのケーブルの敷設には3億ドル(300億円程度)かかったらしい [WIRED]。

それから数年後の2012年には、同じ経路でマイクロ波を使った新しいネットワークが別の会社によって完成した。光ファイバのガラスの中の光速は真空中の光速の2/3ほどだけど、大気中でのマイクロ波は真空中の光速とほぼ同じなので、マイクロ波のほうが若干速度を稼げるのだ。ただしマイクロ波は見通せる距離でしか届かないので、数十キロメートルおきに数十メートルの高さの中継基地を立てる必要がある。これによりNY↔シカゴ間のレイテンシは9ミリ秒に短縮された。同じテクノロジでロンドン↔フランクフルトの証券取引所も接続されている。コストは10億~20億ユーロ(1000億~2000億円程度)と推定されている [Ars Technica]。

低レイテンシの海底ケーブルネットワークというのも構築されている。Hibernia Networksという会社が構築している大陸間海底ケーブルの一つの売りは低レイテンシであることで、実際に大西洋超えのレイテンシが既存のネットワークに比べて数ミリ秒短いようだ。

海上の上空に止まってマイクロ波を中継する、ドローンや気球でできた空中基地局というアイデアもある [Nature]。NY↔ロンドンを海上基地局で繋げば、大西洋を超えるレイテンシを、現在のガラス製の海底光ファイバのほぼ2/3にできるはずだが、これには当然すごくお金がかかる。これはまだ誰も実現していないようだ。

真空中の光速度とほぼ同じ速さの中空光ファイバというものも開発が進んでいる。まだ1メートルで何百ドルするようので、どのような用途でも採算がとれそうにないけど、実用化されれば、確実にこれを採用してケーブルを敷設し直す人たちが出てくるはずだ。

着想段階でよけばもっと革新的なアイデアもある。マイクロ波や光ファイバでは地表面に沿ってしかデータを伝送できないので、仮に地球を貫通する形で直線でデータを伝送できるテクノロジがあれば、既存技術に勝つことができる。そのために考えられているのがニュートリノを使った通信だ。ニュートリノ通信では粒子加速器とニュートリノ検出器が必要になるので高価だが、一応毎秒0.1ビットくらいでの伝送には成功しているようなので [Physics World]、まったく無理というわけではないらしい。もし採算がとれると市場参加者の誰かが思えば、物理学者を雇ってニュートリノ通信の実用化に出資するというのも、あながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。

ニュートリノ通信よりもある意味でさらに速い通信を実現してしまった人たちもいる [Verge]。2013年のある日、連邦準備銀行がNYで午後2時に情報を解禁してから2ミリ秒以内に、シカゴ証券取引所でその情報に基づく取引が行われた。NY↔シカゴは光速でどんなに早くても3ミリ秒はかかるので、これは物理的に不可能な取引として、インサイダー取引の調査が行われた。誰かが情報をリークして、あらかじめシカゴに情報を送っておいて、それに基づいた高頻度取引を行ったのだ。ただ僕にはこれはインサイダー取引をした人の取引プログラムの設定ミスだったとしか思えない。他の参加者にわずかに勝てるだけの十分なディレイを入れていれば発覚のしようがなかったと思う。

というわけで、証券市場においては情報伝達を出来る限り速くするために、しのぎを削る競争がずっと行われている。高頻度取引を行う参加者が存在するのは市場にとってプラスかマイナスかというのは議論の余地があるが、高頻度取引業者の間でマイクロ秒単位の反応速度の短縮を競い合うのは、それ自体では価値を生み出さない無意味な競争に過ぎない。とはいえ、あらゆるアイデアと技術を動員して行う競争というものは、傍から見ている限りはなかなか面白いものだと思う。

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Rui Ueyama

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