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はるるん、新学期始まる

インドの学校は5月後半から6月いっばい夏休みのところが多く、ハルが通う特別支援学校、タマンナも長い夏休みがあった。

薬の調整のせいなのかなんなのか、5月からずっと昼間うとうとすることが続いていたハル。休みがちなまま長い夏休みに突入し、そのまま日本に一時帰国をして7月に入り、なんだかずいぶん久しぶりの登校となった。

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当然というかなんというか、上の子達が通うインターナショナルスクール(寒いほど冷房が効いている)とは打って変わって、タマンナはエアコンがない。そのかわり、ファンをブンブン回している。あれは熱風をかき混ぜているだけではないか、あのままファンがぶっとんで落ちてきたら死ぬだろうな、とか考えながら、汗を流して通う。雨季に入った7月のインドは蒸し暑いのだ。そしてセラピールームがある地下室は、大雨が降ると当然のように湖と化す。えーっ、と騒いでるのは私だけで、みんな平然としている。どうやらこの時期これは普通らしい。

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突然のセラピスト交代

「ハルママ、ハルミット(ハルの担当セラピスト)がいないの。自分の子を産まないといけないからね。」

担任のジョティ先生が唐突にそう話し出した。

「でも心配ないわ、6ヶ月後には戻ってくるから。今日からはシュウェッツァ(美人の理学療法士さん)が担当してくれるし、私も一緒にセラピールームについていくわ。」

え?どういうこと?ハルミット、妊娠してたの?全然気が付かなかった!もしかしたら最近妊娠がわかって、つわりが酷いとか?でも6ヶ月ってどういうことかしら・・・

「ハルミットはいつ出産予定なんですか?」

「今週か来週よ」

え?えええ?ええええええーーーーーーーっっっっ???

てことは、ハルミット、先月ハルのセッションをしてくれたときは、もう9ヶ月だったってこと?まってまって、全然妊娠してるって思わなかったよ?だってもともとハルミットは大柄で、お腹は確かに大きかったけど、違和感なく大きかったのよ?つまりその、妊婦特有の“お腹だけ”大きい、みたいな感じはなかったの。お腹が成長しているようにも見えなかったのよ?インドの人は大抵お腹大きいし。聞いてなーいー!

まあでも、おめでたいことだからね。うん。

ちゃんと引き継ぎはできているんだよね?

こちらには何も連絡がなかったけど…というか妊婦であることに気がついてなかったのは私だけ?もしかしてみんなで寄ってたかってヒンディー語で赤ちゃん産む話してたのかしら…?くぅーっ。

とりあえず、おめでとうハルミット。頑張れハルミット。願わくは子どもを持ったことで、トレーニングにもう少し柔らかさが出てくれるといいな。あと、ちゃんと引き継いでくれてあるといいな…。

仕事をやめたい担任と職業格差

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ドキドキしたまま、ワントゥワンセッションの時間になって、ブースに入った。するとジョティ先生、「ハルママ、一つお願いがあるんだけれど」

と声を潜める。えっ、まだなにかあるの?私、なんか悪いことしたっけか?ドギマギする私。

「私、この仕事やめたいのよ」

えっ。なにそれ。ハルはあなたの生徒で、ワタシその保護者アルヨ?

「ハルのパパに、仕事の紹介をしてもらえないかと思って。」

おーっと来たよこのパターン。

というのも、前にもこういうことがあったのだ。実はハルの担当栄養士のシェファリが、その後のメッセージのやり取りの中で、いきなり仕事の相談をしてきたのだ。「私、以前国連のユニセフのプロジェクトに参加していたことがあるの。もしWHOで空きポストがあれば知らせてくれる?」いやまて、ハルのケトン食療法で相談しているのはこっちなんだし、そもそもあなたこの病院に異動してきたばかりでしょうよ、という戸惑いが隠しきれない。

まあしかしこの現象には、割と深い問題が隠されているようだ。

というのも、国連の仕事は、現地の他の仕事につくよりも待遇が良い。(らしい。自分で比較をしたわけではないのであくまでも伝聞。)お給料と言う意味でももちろんそうだし、特に福利厚生はとても恵まれているようだ。だからたとえ正規採用でないにせよ、チャンスがあれば国連関連の仕事に就きたい現地の人は大変多いと聞く。本来なら国のブレーンになるべき優秀な人材が、待遇の良さが故に国連の単純労働職に流れてしまうという、逆説的な問題があるということは夫の同僚の方からの又聞きであるが、それって結構深刻な、そして難しい問題だと思う。

話が逸れたが、ジョティ先生もやはり、身近に(といっても生徒の保護者!)国連の職員がいるので相談してみたというところなのだろうか。

「どうして仕事をやめたいんですか?」と聞くと、彼女はため息混じりに話をしてくれた。

「どの学校もそうだけれど、学校の職員ってとてもお給料が少ないのよ。私の子供達はそろそろ進学にお金がかかる時期なの。今の仕事が好きだし、誇りもあるし、働く時間や場所もちょうどいいんだけど、私が1ヶ月にもらうのはたったの1万ルピー(約1万5000円)よ。1万ルピー!1万ルピーなんて、なんの足しにもならないわ。」

私はten thousand rupeesを頭の中で計算していて、すぐに反応ができなかったのだけれど、1万ルピーは低すぎる。先生たちの仕事がお昼過ぎまでだから、なのかもしれないけれど、、、我が家のお手伝いさんやドライバーさんの方が良いお給料だ。もしかしたら多少盛ったのかもしれないけれど、きっとお給料が低くて不満があるのは確かなのだろう。

そうだとしたら、結構重大な社会問題ではないか。あろうことかここは特別支援学校だ。支援が必要な子に対する専門性が必要な重大な仕事のはずだ。

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「校長や上司には相談したんですか?」

私が聞くと

「相談しても取り合ってくれないわ。自分が子供を出産した直後も、無理な働き方を強いられたのよ。出来れば違う仕事に就きたいわ。」

うーむ。うちの夫が何か力になれるとは全く思えないけれど、なんか切ない。日本でも保育士の低賃金労働が問題視されたりしているけど、、教育に携わる人たちがきちんと評価されないのは大問題だ。

「ハルミットだって、6ヶ月で戻るとは言っているけど、子供のことを考えたら戻ってこないかもしれないわ。」

おいおい。さっきと言ってること違うやないかーい。ハルミットもいなくなって、ジョティまで辞めてしまったら、一体ハルはどうなるの?

「ハルママ、それは大丈夫、もしそうなったら私が個人的にハルを見てあげられるわ。ずっと見てきたのよ、エクササイズだって、セラピストと同等かそれ以上にできるわ。個人的に教育をしてあげるから心配ないわ。」

なんじゃそりゃ。なんだかなあ。そういうことじゃないんだよ。それで個人契約をしていい料金を要求したりするつもりなのだろうか、とかつい考えてしまう、インド歴9ヶ月にして身につけた防衛思考。

職による待遇の格差は問題だと思うけれど、それとこれとは別なはず。仕事をやめたい話を、職場のしかも担当児童にしてしまうのは、別の意味で問題ではないだろうか。

ハルが学校に通う意味

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ハルが学校に通う意味は、もちろんセラピーや特別教育でもあるんだけど、半分はお友達と触れ合い、社会的なつながりの中で楽しみをみつけることにあると思っている。他のお友達の声を聞いて、いろんな人と「おはよう」「いただきます」「さようなら」を言い合える、ハルにとって貴重な場所が学校なのだ。

その日のジョティ先生によるワントゥワンセッションは、なんとなく薄っぺらく感じてしまった。

「みて、ハルママ、ハルがちゃんと自分でつかんでもちあげているわ」

(違う、それはハルの意思で掴んでいるのではなくて、掴ませているだけで長くは続かないし、腕を上げているのは先生じゃないか…)

「ほらね、ハルママ、ハルはちゃんと私のことを見ているわ」

(違う、それはハルの目が一時的に上天しているだけ)

「ハルママ、ハルが首を持ち上げているわ、ちゃんと力がついてきているのね」

(違うったら、それはただ単に緊張が強くなって突っ張っているだけ!)

「手をかじって傷つけてしまうなら、手袋じゃなくて何かカミカミできるようなものを持たせておけばいいわ。大丈夫ママ、ちゃんと持っていられるはずよ。」

(そんなの今のハルは長い時間持っていられないの、わからないのかしら…)

もともと薄々思っていたことではあるけれど、その日はジョティの評価にいちいち心の中でツッコミを入れたくなった。

確かに明らかにハルが何かを感じ取って表現することもあるし、ハルの意思が行動と結びついているように見えることもある。そしてそれを何度も経験させることで、ハルにとっての理解や認識が深まることもあるだろう。しかしあまりにあらゆることをポジティブに捉えすぎていやしませんか…。これが果たして本当に特別教育と呼べるのだろうか。(家でも同じようなことをやれる)

しかし、大事なのはきちんとこのように時間をとって、きちんとハルと向き合ってコミュニケーションをとることなのかもしれない。そう思い直して、次は理学療法のセラピーに向かう。

美人の理学療法士シュウェッツァは、最初の印象と少し違って、ハルにきちんと話しかけながら、少しずつ進めてくれた。これには、一度夫がWHOのIDをこれ見よがしに首から下げて、リハビリの現場を見に来た際、「ハルを泣かせてまでリハビリをやりたくないこと、ゴールは歩けるようになることではないこと、ハルが居心地よく生きていけるためのリハビリであってほしいこと」をきちんと宣言してくれたことも大いに影響していると思う。

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「リハビリ=ハルミット=怖い、嫌い」という構図から少し外れたせいか、ハルも泣かずにエクササイズをやらせてくれる。時折嫌そうな声をあげると、シュウェッツァも手をとめ、休憩をしてくれたり、私が一生懸命ハルをなだめるために歌う歌を一緒に歌ってくれたり、しまいにはハルが一時帰国の際に西松屋で買ってきたワンピースを褒めて「ハル〜、このドレス素敵ね、私も欲しいな〜」なんてハルをいじってみたり。

あれあれ?おやおやおや?なんだなんだ、いいじゃないか。

ハルミットがやっていたこととはやり方もやっていることも少しずつ違うので、きちんと引き継ぎがあったのかどうかは謎のままだが、なんとなく見ていて“理学療法的”で、日本でのリハビリを彷彿とさせる印象を持った。そして家でも継続してできるようなエクササイズの方法も、きちんと整理して教えてくれた。

あんなに泣いていやがっていたリハビリ、単なる相性の問題だったのか?

突然の先生の変更も、トラブルも、捉えようによってはいいこともある。今はハルミットが無事に赤ちゃんを産めることを祈り、そしてジョティについては、お給料の良い転職先がみつかることを祈るのみである。

ケ・セラ・セラ。

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(上の写真は、二人のお手伝いさんが工夫を凝らしてハルにうつぶせの練習させているところ)

ハルが沢山のトラブルを抱えて生まれて、当時入院していたNICUに通う車中、どっしりと存在感のある富士山が見えて、とても美しいと思いました。そして同時に、ハルは富士山みたいだ、と思いました。その時は直感的にそう思ったけど、今はなんとなくそう思った理由が分かるような気がします。ハルはとても美しいです。持って生まれた運命を軽々と受け止め、乗り越え、全力で笑い、泣き、眠るハルは、とても美しいと私は思っています。彼女は、彼女自身の価値をちゃんと持っていて、今はそれを曲げることなく生きているからだと思います。彼女が美しいままでいられるよう、私は彼女の健康を守っていきたいです。                 ー2017年1月10日日記よりー

ハルは、4歳の女の子として、ハル自身のために学校に通い、出会いも別れも経験していくのだ。

新学期、どんとこい。

(つづく)



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