月曜日の気持ち考えろよ

月曜日が不憫でならない。

もし月曜日が擬人化し、会社の同僚であった場合、私は月曜日ちゃんを会社の屋上に連れ出し、コーヒーの一本でも奢って話を聞いてあげたい。

ちなみに私の中で月曜日は女の子である。

金曜日の夜と、月曜日の朝。もし私が辞書の編纂者で、なにか新しい単語を作って載せていいよと言われたら「月曜日の朝」という単語を載せたい。

「月曜日の朝」→月曜日に属する朝、最も重力を感じる時間帯。類義語は「連休明け」、対義語は「金曜日の夜」。

もし月曜日が金曜日と対面した場合、ちやほやされる金星にジェラシーを燃やすことだろう。ジャイアント・インパクトの再来である。ちなみに金星は月の3〜4倍デカい。

月曜日はある日突然人間たちによって誕生させられ、そしてよりにもよって日曜日の次に配置されてしまう。

火曜日は命拾いした形となり、横目で月曜日をあざわらう。
水曜日は真ん中でふんぞり返って月曜日を蔑み、木曜日は静かに月曜日を見下す。
金曜日は端から月曜日は眼中になく土曜日に媚を売りながら華やかに踊り、土日は月曜日など知らない。

月曜日が不憫でならない。月は地球の衛星であるはずなのに。うさぎが健気に餅つきをしているというのに。

月曜日は嫌われ者だ。しかし、どれだけ嫌われようが、文句を言われようが、SNSで「げっそりげつようび」と言われようが、時間になると必ずやって来る。健気で可愛いやつである。

前述の通り、私の中で月曜日は女の子である。時間になると必ずやって来る健気で可愛い女の子。本当は好きになるだけのポテンシャルを秘めた素敵な曜日なのではないか。

よくよく考えてみれば、月曜日という概念を嫌いになるのは、なかなかに高度なことだと思う。たとえば、ズタボロの服を着て鎌を持った月曜日に追いかけ回された過去があるとか、好きな人を月曜日に横取りされたとか、あるいはたまたま「月曜日」という名前が付いた人に嫌なことをされたとか、こういったことがない限りは月曜日自体を嫌いになることはないだろう。

月曜日が悪いのではない。休み明けは決まって機嫌の悪い上司がいる職場が悪いのだ。部屋の埃のように週末のうちにいつの間にか溜まってるメールが悪いのだ。なんの生産性もない朝礼やミーティングが詰め込まれているのが悪いのだ。

そう、月曜日は悪くない。

事実、月曜日を戦い終えて帰路につく者たちの顔は強くたくましい。それはもう、金曜日の夜に匹敵すると個人的には感じる。

月曜日があるからこそ、他の曜日が嫌われなくて済んでいるし、週末をよりありがたく感じることができる。これは、私を含め美男美女以外の生物が存在しているからこそ、美男美女がより輝くことができるという理論と同じだ。なんとも切なく悲しい理論ではあるが。

月曜日にもっと感謝しよう。月曜日の日も、月曜日ではない日も。なんなら、月曜の夜は月曜日を抱きしめて寝ても良いくらいである。ほら、月曜日が好きになってきたでしょう?

月曜の気持ち、もっと考えてみろよ。


ちなみに、私は月曜日が嫌いです。特に朝。「げっそりげつようび」だし、不機嫌というか、低血糖低血圧なのでローテンションです。

日曜日のあと金曜日が来れば良いのに。

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